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■質問と回答のログ
過去に頂いたご質問やご意見と、管理人による回答を掲載しています。これらの回答は管理人個人の意見であり、霊的な意味において正確性を保障するものではありませんので、一つの参考意見としてお読み頂ければと思います。
回答自体は当時のままですが、ログ化にともない回答文の再構成を行い、誤字・脱字を修正してあります。
枠内は頂いたご意見・ご質問です。
最新の質問と回答はトップページに記載しています。
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■弘太郎様からのご質問
K様よりメールフォームを通じてご質問がありましたので、この場を借りて回答いたします。
(2010年5月1日 15:13 受信)
拝読いたしました。
そこでひとつお尋ねいたしたいのですが、喫煙など不摂生が悪いことだとわかっていながら、それがもとで病気になり寿命を縮めたり、病気の治療を拒んで命を縮めた場合も自殺になるのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
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【回答】
サイトご訪問ありがとうございます。まず質問の前半部分の「不摂生によって寿命が縮んだ場合、それは自殺といえるか?」に関してですが、結論から言うと“間接的な自殺”になり得ると思います。これに関して適切だと思われる事例を提供してくれる書籍があるのでご紹介します。
『われらの住み家 ある霊界集団の物語り』という書籍があります。これはアンドレオというブラジル人医師が死後霊界から送ってきた霊界通信です。彼は病気でこの世を去ったのですが、霊界の療養所で医師から「あなたは自殺した」という言葉をかけられてしまいます。アンドレオは「自分は病気で死んだのであって自殺したわけではない」と反論するのですが、件の医師は戸惑う彼に対してその理由を次のように説明しました。「あなたは肉体にさほど重要ではない食べ物や飲み物を暴飲暴食することにより、肉体の器官を破壊し死期を早めた。それは自殺行為です」と。
このアンドレオの事例は暴飲暴食によるものですが、酒やたばこの場合でも同じではないかと思います。これら不摂生によって死期を早めることは直接的な自殺とは言えないまでも、間接的な自殺であると言えるのではないでしょうか。
またサイト内でも度々紹介しているシルバーバーチ霊は、「霊が使用する媒体としての肉体はしっかりと手入れをしなければならない」というように述べています。やはり、地上人生を十分全うするためにも、バランスのよい食事や適度な運動、十分な睡眠といった健康を維持していくための心掛けは大切になると思います。
質問の後半部分の「病気の治療を拒んで命を縮めた場合も自殺になるのか?」についてですが、治療することにより明らかに健康を取り戻せるにもかかわらず、それを怠って死期を早めた場合は質問の前半部分と同じく“間接的な自殺”だと言えると思います。しかしまた、人それぞれには固有の事情があり、ある人がどのような動機でその行為を行ったかが正確に分からない以上、第三者が安易に「それは自殺だ、自殺ではない」などと決め付けるべきではないとも考えます。
この質問を突き詰めていくと必然的に“臓器移植”や“輸血”、または“延命治療”などの問題に行き着くと思いますが、スピリチュアリズムを学ぶ者の間でもこの問題に関して意見の対立が存在します。これらは複雑で大きな問題なので個人的な私論は控えたいと思います。興味があれば検索エンジンで「シルバーバーチ 臓器移植」「シルバーバーチ 輸血」などで検索してみてください。
以上が管理人による回答です。
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■前田様からのご質問とご意見
M様よりメールフォームを通じてご質問がありましたので回答いたします。
(2010年9月24日 8:05 受信)
【質問1】:「死とは霊と肉体との分離」とありましたが、それはどのような死でも同じですか?
【質問2】:「寿命」とは、どのような死でしょうか。該当するすべての死因を挙げてください。
【質問3】:シルバーコードが繋がっている状態で、霊界にいく方法はありますか?
【質問4】:「自殺者は生まれ変わって同じ試練に直面する」とありましたが、自殺以外でも生まれ変われることはできるのでしょうか?
管理人様には答えにくい(というか難しい)質問かもしれませんがスピリチュアルの考えに非常に興味がありますので、ぜひご回答をよろしくお願い致します。
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。私もすべてを理解しているわけではありませんがお答えします。
【質問1】への回答:はい。これに例外はありません。自然死、事故死、病死、そして自殺のような場合でも同じです。しかし、より厳正に定義するならば死の定義でも説明したとおり、肉体と霊体とを繋ぐ“シルバーコード”が切断された時といえます。このコードが切れない状態で肉体から霊体が分離した状態を“幽体離脱(体外離脱)”と言い、事故などでその状態が起こる場合があり、後に肉体的生命を取り留めた際にその時に体験した内容を臨死体験として覚えている場合もあります。
ですから、地上の医師が“死んだ”と言う判断をしてもそれが間違いということがあり得ます。シルバーコードが切れていない場合があるからです。そのコードが切れない限り息を吹き返す可能性があり、意識を取り戻す可能性があります。このことを考えれば、スピリチュアル的な観点では“脳死”や“臓器移植”には大きな問題が孕んでいるという事を理解していただけるかと思います。
【質問2】への回答:残念ながら私にはこの質問に明確に答えることはできません。死因如何にかかわらず「その死に方は寿命によるものだ」とは誰にも正確に判断できないからです。たとえばAさんとBさんが同じ病気で亡くなったとします。Aさんにとってはそれは人生計画の内で寿命であったと言えたとしても、Bさんの場合は本来の計画にはなかった地上生活での不摂生がたたっての死因であり、本来の寿命よりも早く死んでしまったという可能性もあり得るからです。つまり死因だけを見てそれが寿命であったかどうかは判断できないのです。
その例以外にも自然災害や事故、または戦争や殺人による死因も考慮しなければなりませんが、それらによる死が寿命によるものだという事例は確実に存在します。しかし同時に(私が学んだ限りにおいては)“そうではなかった”という場合もあるようです。そして少なくとも自殺は寿命ではありません。
【質問3】への回答:私はそのような能力を持っていないので方法論をお教えすることはできませんが、幽体離脱によって霊界を訪問することは可能です。それによって著された書籍も多くあります。有名なものではスウェーデンボルグの著作やスカルソープ氏の『私の霊界紀行』などです。臨死体験記も同様です。最近ではヘミシンク関連の書籍も多いようです。
もっとも、私たちは就寝中に幽体離脱によって霊界を訪れ様々な体験をしています。娯楽のためだったり仕事であったりします。夢のほとんどは取り留めのないものですが、中には実際に霊界での体験を覚えている場合があり、それが予知夢や正夢となることがあります。霊界で今後地上世界で起こる可能性のある映像を見、目覚めてからもそのことを覚えている場合です。
【質問4】への回答:これは私が駄文を書くよりもこちらをお読みになると良いと思います。
以上が管理人による回答です。
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M様より上記の回答に対する反論(ご意見)がありましたのでご返答いたします。
(2010年9月30日 17:02 受信)
以前、質問させて頂いた前田です。ご回答有難うございました。大変参考になりました。
ところで、「死因から寿命かどうかを判断できない」と書かれていましたが、殺害されることも寿命だったという場合もあるのですね。人は生きる義務を与えられているのに、人によって、生きる義務が奪われることが寿命だなんて、不思議ですね。
「自殺が寿命ではない」とされていますが、本当にそうでしょうか。自殺者の多くはうつ病という病気になり、「正しい判断」のもとに行われていません。つまり、病気を患いその結果死んでしまったわけです。そう考えると、寿命ではないと否定できないように思えます。そもそも、事故死や殺害を寿命と考えることができる場合があるのに、自殺だけが違うという考えは、無理があるように思います。
もう一度書きますが、「死因から寿命かどうかを判断できない」にも関わらず、「自殺が寿命ではない」というのは無理があると思います。
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【返答】
まずはじめに「もう一度書きますが、『死因から寿命かどうかを判断できない』にも関わらず、『自殺が寿命ではない』というのは無理があると思います。」についてお答えします。回答の論理的矛盾を指摘されたのだと思いますが、私は自殺以外の死因の一般論を書いたのです。私が想定した死因に“自殺”は含まれておりません。これはこちらの説明不足だったかもしれません。
頂いたコメントを拝読すると「自殺でも寿命による場合があるのではないか」というご主張だと思いますが、私もたくさんの霊的書籍を読んできたつもりですが、そのように書かれた物は一冊も無かったと記憶しています。それがたとえ“うつ”のような原因であってもです。もしうつで自殺したなら死後には“どうしてうつになったのか”という原因が考慮されるはずです。それが本人の弱さからなのか、あるいは本人にはどうしようもない不可抗力的なものなのか、または霊的原因(カルマ・憑依)なのか、適切な治療は行ったのかどうか…などです。しかし自殺は自殺ですからそれなりの罰は必ず受けることになります。
ところでMさんはこちらを読んでいただけたでしょうか?あなたのおっしゃる「正しい判断のもとで行われていない自殺」にもかかわらず、死後の世界での苦しみを語る霊の事例です。これについてどう思われますか?よければ感想をお聞かせください。
私としては何度でも「自殺による死は寿命ではない」と主張します。とはいえ、自殺者は無条件で無慈悲な刑罰を受けなければならないのか?というと、そういう訳ではありません。それはシルバーバーチ霊の「自殺にも情状酌量される場合がある(シルバー・バーチの霊訓 第九巻 P.208)」という主旨の発言や、このページの〈厭世観と自殺〉を読むことでも分かります。しかしこのサイトではあえて触れないことにしています。なぜなら少しでも甘いことを書けばそれを免罪符にして自殺する人がいてもらっては困るからです。サイト内容の厳しさに反発を感じる方がいると思いますが、それは私としては承知の上です。
以上です。
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M様から上記の返答に対するご意見を頂きましたのでお答えします。
(2010年10月6日 23:27 受信)
前田です。お返事、有難うございます。
管理者様は私の意見を「自殺は寿命の場合もあるから、罰を受けない」という意見にすり替えているのではありませんか?そんな印象を受けますが、どうでしょうか。私は「罰を受けない」などと一言も書いていません。
霊的書物に「自殺でも寿命による場合がある」という主張が書かれていないからといって、私の主張を否定することはできないと思いますが、いかがでしょうか。
「悪霊によって自殺させられた女性」を拝読しました。この女性は寿命まで生きていなかったことと、自殺したことで罰を受けたのでしょう。つまり、「寿命ではなかった自殺」だったというだけです。私の主張とは関係ありませんね。どうして紹介したのか理解に苦しみます。
そもそも、寿命まで生きれば「何も罰を受けない」ことはないと思います。たとえ、寿命まで生きても、生きるために他者を裏切り、金銭・物品を奪い取り、殺害をも実行してきた人間が、寿命で亡くなれば、何も罪がないのでしょうか。そんなことは無いと思います。
「寿命まで生きること」「それまでにどのように生きたか」この二つによって、死後の罰の有無が決定されるのではないのでしょうか。
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【返答2】
まずはじめに「管理者様は私の意見を『自殺は寿命の場合もあるから、罰を受けない』という意見にすり替えているのではありませんか?」についてですが、確かにそのように受け止めました。ですから「悪霊によって自殺させられた女性」を紹介しました。
Mさんのご主張は「自殺でも寿命の場合がある。しかし死後において罰を受ける」ということでよろしいのでしょうか?私はそのようなことは聞いたことがありません。よろしければあなたの説を裏付ける資料の提示をお願いします。当サイトでは各種霊的書籍からの引用などによって自説を補強しながら私なりの主張をしているつもりです。もしかしたらサイト内で紹介させていただくかもしれませんので、私やこのサイトをご覧になっている方にも納得できる資料をお願いします。あるいはもしご自説に自信がおありなら、私など相手にせずあなたご自身がサイトを立ち上げて思う存分そのような主張をされても良いかと思います。私もそうしています。
私たちには自由意志が与えられており、どのような主義主張でも持つことが可能です。しかし同時に、それによって周囲に与えた影響に責任を負わねばなりません。もしMさんが「自殺でも寿命の場合がある」という主張をされたいならよくよく注意されたほうが良いと思います。もしその発言を真に受けて自殺する人がいた場合、あなたにもその責任の一端が負わされるからです。私たちは死後において行為や発言だけでなく心に思ったことさえも裁断されることはここでも示したとおりです。
頂いたコメントの「そもそも、寿命まで生きれば『何も罰を受けない』ことはないと思います。」以下のご発言ですが、私はそのような主張をしたことは一度もありません。私はサイト内で何度も「“生き方の質”によって死後に置かれる環境や境遇は変わる」と主張しています。それはMさんがブックマークされている人生の意義について1でも述べていますし、よろしければ人生の意義について2もお読みいただければと思います。
以上です。
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M様から上記の返答2に対するご意見を頂きましたので引き続きお答えします。
(2010年10月7日 14:58 受信)
前田です。お返事、有難うございます。
「自殺でも寿命の場合がある。しかし死後において罰を受ける」についてですが「自殺は寿命ではない」ことの根拠が乏しかったので、自殺が寿命である場合の可能性があるかもしれないということを指摘したまでです。そして、管理者様は明確に否定できなかった、ただそれだけです。要するに、単なる「疑問を投げかけた」だけの話です。なので、「資料を示せ」だの「他で主張しろ」というのは、的外れです。
「自殺でも寿命の場合がある」という主張を真に受けて自殺する人は確かにいるかもしれません。というか、「自殺は寿命の場合があるから、問題ない」という意見に勝手に摩り替えているように思えますが…。わざとでしょうか…?
管理者様のサイトへの反発等により、自殺者がでないとも限らないでしょう。私への警告は非常に有難いですが、ご自身にも当然言えることですよね。まぁ、そこらへんは理解しておられるでしょうから、余計なことでしたね。
殺人などを行った場合は、死後に罰を受けるということが書いてあったと思いましたが、私の勘違いだったのでしょうか?別のサイトだったかもしれませんが…。
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【返答3】
はじめに「『自殺は寿命ではない』ことの根拠が乏しかったので、自殺が寿命である場合の可能性があるかもしれないということを指摘したまでです。」というご発言についてですが、Mさんが「根拠が乏しい」と思われるのはもちろん自由なのですが、それならばあなたがどのような根拠を元に「自殺が寿命である場合の可能性があるかもしれない」という発言をされたのか私には興味がありますので、書籍などの資料があればぜひお教えください。疑問を投げかけるにしてもそれなりの論拠が必要なはずです。決して的外れな提案ではありません。議論を進める上では重要な議題だからです。私たちは今まさにそれについて議論しているわけですから。
次に「というか、『自殺は寿命の場合があるから、問題ない』という意見に勝手に摩り替えているように思えますが…。わざとでしょうか…?」についてですが、正直なところ私にはMさんが主張する「自殺でも寿命によるものがある」という前提がすでに間違いだと感じていますので、死後に罰を受けるか受けないか、また問題があるか無いかということは私にとっては重要なことではないのです。議論がかみ合わないのはそのためでしょう。私は9月25日の回答から一貫して「自殺による死は寿命ではない」と主張しています。今でもこれを変えるつもりは全くありません。どちらにせよ、あなたも私もいずれあの世で真実を目の当たりにしなければならない日が来るのですから、その時に確かめればよい事です。
「管理者様のサイトへの反発等により、自殺者がでないとも限らないでしょう。」というメッセージに関してですが、私はそのような心配はしておりません。前にも書きましたが、むしろ下手に甘いことを述べるほうが危険だと考えています。それこそ私は死後において責任を問われることになってしまいます。また、誰かを困らせてやろうという発想を持った時点で自らに否定的なカルマを蓄積させていくという事実を私たちは理解しなければなりません。幸いサイト開設以来、何人かの方から応援メッセージを頂いております。ありがたいことです。
頂いたコメントの最後の一文についてですが、ここの三段落目とここの二段落目に少しだけ書いています。このサイトでは主に霊的観点から見た“自殺”に焦点を当てていますので、殺人などによる罰がどのようになるかは詳しくは述べていません。個人的には『アラン・カルデック 霊との対話 天国と地獄T・U』という書籍がお勧めです。それらは某宗教団体から出版されていますが、内容はその団体の教義とは関係なく純粋な翻訳本となっています。目次T・目次U
以上です。
【返答3の追記】
返答3の追記になります。Mさんの主張を否定する私なりの理由を述べておきます。これは幾つもの霊的書籍から学んできた私なりの結論です。しかし絶対に正しいと言うつもりはありません。
私たちは生まれる前に人生計画を立てています。しかし好きなように計画を立て、いつでも好きな時に生まれ変われるのではありません。そのどちらにも霊界側からの許可が必要であり、それを頂いて初めてこの地上に生まれ出ることができます。いったんこの世に生を受ければあらかじめ決めておいた寿命までは精一杯生きなければならず、どんなに辛い事があっても途中で人生を切り上げることは許されません。私たちはそれを納得の上で生まれてきているのです。この地上世界では基本的に“肉体的生命を奪う”ということが許されていません。私たちを支配している霊的法則に反するからです。それは自分の生命を奪う自殺でも他人の生命を奪う他殺でも、また人工妊娠中絶のような場合でも同様です。従って「自殺による死でも寿命の場合がある」というMさんのご主張が否定できるのはそれが理由です。要するに霊的法則を犯して地上人生に終止符を打った場合、それは寿命とはいえないのです。人生計画の中で自殺によって人生を終了させるような人はいません。そもそも霊界側がそのような許可を与えるはずがありません。なぜなら霊界側自らが霊的法則を破ることになってしまうからです。殺人の許可を与えないのと同様、有り得えないのです。
以上は私が主張する「自殺による死は寿命ではない」ということの根拠でもあります。
以上です。
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M様から上記の返答3に対するご意見を頂きましたので引き続きお答えします。
(2010年10月10日 4:49 受信)
前田です。お返事、有難うございます。
「自殺は寿命の場合もある」と思った理由は、私の2度目のメッセージにすでに書いてあります。管理者様のやりとりで、ちょっと疑問に思っただけで、資料等は当然ありませんし、スピリチュアルに関しての知識は皆無です。最初から「自殺は寿命ではない」ことを否定するためにしている質問でもありません。
自分が自殺したらどうなるのか、本当に罰があるのか、死後の世界、非常に興味があります。管理者様とのやりとりと、貴サイトの情報でますます興味がわいてきています。この場合、私が自殺したら、管理者様に影響があるのでしょうか…?
「私はそのような心配はしておりません。むしろ下手に甘いことを述べるほうが危険だと考えています。」に関してですが、心配しようがしまいが、メッセージがいくらあろうが、甘いことを述べなくても、何も変わらないでしょう。「自殺した人がいるかいないか」だけでしょう。自殺するのは管理者様ではないのだから。
続きます。
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(2010年10月10日 4:51 受信)
管理者様の「自殺による死は寿命ではない」ということの根拠に関して、いくつかコメントを述べさせて頂きます。
こういう風にまとめて書いて頂いたのは非常に有難いです。なかなか示してもらえなかったのですが、やっと、やっと、やっと示していただけたようなので感謝致します。
さて、自殺と殺人は霊的法則を破ることだということはよく解りました。自殺の場合は、やり直しということで、生まれ変われることが約束されたものだと考えることはできると思います。前回挫折した試練に再度直面させられることから、日本人で自殺すれば、また日本で日本人に生まれるということだと思います。まぁ、その分、試練は大きくなるでしょうが、そのかわりまた日本で生活ができることが保証されるということでしょう。この認識は間違っていないと思いますが、どうでしょうか。
霊的法則を破ることを禁止にしていることを霊自体が理解しているのに、なぜ肉体に宿ったときに「記憶」として残し、自制しようとしないのでしょうか?また、霊は常に進化を求めているのだから、何らかの対策(自殺・殺人をしないような工夫)は考えないのでしょうか?前回の経験も何もいかされていない上に、同じ失敗を繰り返すことはかなり高いと思われます。まぁ、考えても「できない」のかもしれませんが…。
「この地上世界では基本的に“肉体的生命を奪う”ということが許されていません。」に関してですが、死刑や殺害された人は皆、寿命でないということになりませんか?霊的法則で禁止にされている行為で死亡することを許可されるはずがないのだから、「他者から殺害されることが寿命」というのはありえないことだと思います。
殺害されること自体が、霊的法則では禁止になっていないと仰るかもしれませんが、殺害されるということは、殺害する者が存在することが条件なのだから、「殺害されることが寿命」とするのなら、「殺害する者」を生み出さないと達成されないことですよね。なので、他殺や死刑は寿命であるはずがない、そういうことになると思います。いかがでしょうか?
続きます。
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(2010年10月10日 4:51 受信)
「人工妊娠中絶」に関してもいくつか疑問があります。もしかしたら、貴サイト内で説明してあったかもしれませんが中絶の場合、それを行った医者も罪ですよね?また、「男性に命令されて仕方なく中絶した女性」の場合は男女ともに罪ですよね?
さらに「男性が知らない間に、女性が勝手に中絶した」場合は女性だけが罪ですよね?
これで最後です。
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【返答4】
まず今日一通目の「この場合、私が自殺したら、管理者様に影響があるのでしょうか…?」についてですが、霊的影響に関しては私には何の影響も無いかと思います。もしMさんが何かの疑問を持つ人に対して善意で真剣にアドバイスをしたとして、その人がそれが気に入らないからといって自殺してしまったら、あなたはその霊的責任を負わなければならないのでしょうか?私が「心配していない」と述べたのはその答えが理由です。しかしMさんの自殺を止められなかったという無念さは残るかもしれません。これだけがんばって説得しているのですから。ひとつMさんによく理解しておいてほしいことがあります。それは、あなたはすでに“自殺してはいけない”という理由をお知りになったと言うことです。それを知っていながら自殺した場合、それを知らなかったよりもはるかに大きな罰を受けると言うことです。そのような霊的法則が存在するのです。ですから私は自殺を思いとどまることを強くお奨めします。
今日二通目の最初のご質問に関してですが、その答えを導き出すには“動機”を考慮する必要があります。シルバーバーチ霊も何度も述べていることなのですが、人間が何かの行為を行って受ける霊的功罪は、その人が持っていた動機によって変わってくるからです。そして罪の大きさはその動機の“不純さ”によって大きくなったり小さくなったりします。これは自殺の場合でも同じで、もし「自殺してもまた生まれ変わることができる」と高を括って自殺した場合、その動機の不純さによって何百年、もしかしたら何千年も生まれ変わることができなくなるかもしれません。「返答3の追記」でも述べたように、地上へ生まれ出るには霊界側の許可が必要だからです。ですから同じ理屈で「再び日本に生まれることができる」を考慮してみてください。自ずと答えを導き出せるかと思います。このことは殺人などの場合でも同じですので、表面的なことに惑わされずできるだけ動機を探ってみてください。快楽殺人と正当防衛による殺人とでは霊的な罪の大きさが変わるのは容易に想像できます。これは地上の刑法と同じです。
「霊的法則を破ることを禁止にしていることを霊自体が理解しているのに、なぜ肉体に宿ったときに『記憶』として残し、自制しようとしないのでしょうか?」に関してですが、地上に生まれる限り様々な誘惑にさらされることは霊自身は認識していますが、肉体器官に宿ると霊的感性が鈍らされます。しかしそのような中でも利己的誘惑に抗し、それを自制していくことが地上人生での“修行”だからだと私は考えます。筋肉も負荷が掛かって初めて筋力が付きます。それと同じで霊も肉体をまとい利己心に打ち勝ち利他性を発揮していくことによって初めて霊的力量が付いていくのだろうと思います。ですから自制できずに霊的法則に反する行為を行う人はまだまだ霊的に未熟者だといえるのではないでしょうか。しかし前回の失敗の教訓は霊自身は認識しております。そのことは肉体の顕在意識に程度の差こそあれ浮かんできます。それを活かすか活かさないかは本人の努力次第であり、誰の責任でもないのです。
死刑や殺害された人の例を出されましたが、前者の場合はおっしゃるとおり寿命ではありません。死刑制度は霊界側から度々否定的に述べられています。その理由をこちらの中盤に参考になる発言があります。後者の場合は色々な想定を考えなければならないので“これが正しい”という答えを私には出すことができません。寿命である場合があるかもしれないし、無いかもしれません。カルマ的な原因があるかもしれません。ひとつだけ仮定を述べます。「他者から殺害されることが寿命」という人生計画を立てていた場合があるとします。それは何も強盗に襲われて殺されると決まっているわけではありません。交通事故死になるかもしれませんし、精神異常がある人に殺害されてしまうかもしれません。つまり殺害する側も殺人を意図していない場合もあるということです。霊界側が人を殺めることを許可しないのは当然ですが、実際には毎日のように人殺しがなされています。それはその人が殺人を計画していたのではなく、本人の霊的な未熟さが原因です。この世で感情や欲望を自制できず、与えられた自由意志を霊的法則に反する方向で行使してしまったのです。もしかしたら「他者から殺害されることが寿命」と計画していた人はそのような人に殺害されることによりその目的を達成することもあるかもしれません。以上のようなことは参考程度に聞いておいてください。正しいと主張するつもりはありません。
三通目のご質問に関してですが「中絶の場合、それを行った医者も罪ですよね?」はそのとおりです。しかし中絶しなければ母体に生命の危機が及ぶ場合はその処置をした医師に罪はありません。また「男性に命令されて仕方なく中絶した女性」の場合は男性側により重い罪があります。最後の「男性が知らない間に、女性が勝手に中絶した」に関してだけはしっかりと動機を考慮しなければ正しい結論は得られないと思います。たとえば両者が不倫のような関係であればそれ自体が罪になります。それはどちらかが(または両者が)配偶者を裏切ったという罪です。さらに中絶したわけですから、男女とも同じ大きさの罰を受けなければならないはずです。男性にはその女性を妊娠させたという原因があるからです。また、たとえば結婚中に男性側は子供を望んでいたのに女性側はそれを望まず勝手に中絶していたような場合は、女性にだけ罪が発生するだろうと思われます。中絶の問題に関してはここのシルバーバーチの発言とその下の問答が参考にできるかと思います。
最後にお願いなのですが、Mさんは「スピリチュアルに関しての知識は皆無です。」とおっしゃりましたが、できれば自ら進んで(私への質問以外で)学ぶ意欲をぜひ持っていただければと思います。私はあなたの質問一つ一つに真面目に、私なりにできるだけ正確に答えようと勤めていますが、それには時間がかかります。サイト更新に手間もかかります。できればそのような労力を割きたくないというのが私の本音です。また私には分からないこともありますし、あなたの質問には当サイトの主題ではないことも含まれています。従って、Mさんへの回答は今回で最後にさせていただきます。「求めよ、さらば与えられん」という言葉あります。自ら能動的に捜し求めて初めて霊的真理(知識)や霊的確信はその人に与えられるのだと私は信じています。物質科学もそうですが霊的なことも学べば学ぶほどさらなる疑問が湧いてきます。私も毎日が学びと思索の連続です。霊的なことを学んでいる人は皆そうだと思います。
それでは。
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■はな様からのご質問
はな様よりご質問がありましたのでお答えいたします。
(2011年5月17日 0:53 受信)
自殺した従妹があの世で苦しまないようと毎日沢山祈ってますが、その祈りは届いてますか?また、この世からの祈りによって自殺した従妹はあの世での苦しみは解消されますか?または苦しみの期間は短くなりますか?
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。従妹の方が自殺されたということで心中お察し申し上げます。以下の回答はあくまでも私個人の意見であり、霊的な意味において的を射ているとは限らないことをまずお断りしておきます。
従妹の方がどのような背景や動機で自殺されたのかは分かりませんが、自殺者が死後に置かれる環境はそれらの状況によって変わってきます。自殺した者は問答無用で無間地獄に落とされ永遠に苦しみ続けるという訳ではなく、従妹の方の場合も自殺した背景や動機によって死後に置かれる環境は決まります。事情によっては情状酌量される場合もあるということです。
しかし、そうは言ってもやはり自殺者は死後においてある程度の苦しみを受けなければならないようです。私はそれなりに信頼できる書籍などから幾つもの(自殺霊からの)体験記を読んでみましたが、ただの一つも自殺が最善の選択だったというものは知りません。彼らはみな肉体的・精神的な苦悶にありその苦しさを訴えています。自殺というのは“霊的な決まりごと”に反する行為であり、それを犯すと死後においてはそれなりの苦しい代償を払い、辛いペナルティを受けなければならないのです。
ご質問の「祈りは届いているか?その祈りによって従妹の苦しみは解消されるか?」に関してですが、愛念や祈りを送ってあげることはとても良い事だと思います。しかし、はなさんがどのように祈っているのかということが問題になるかもしれません。というのは、結局のところ自殺者本人の自覚と努力が一番大切になるからです。もしかしたら従妹の方が今だに“自分が死んだ”ことに気付いていない地縛霊のような状態にあるかもしれません。そのような中で頻繁に接触を求めれば、はなさん自身が従妹の方に憑依される危険性さえあり得ると思います。そうなってしまうといわゆる“霊障”を受ける危険性があります。
まず大切なことは従妹の方に霊的な知識を教えてあげることではないでしょうか。つまり、はなさんが彼女に対して「貴方は死んで霊(魂)になっていること」、「貴方が受けている苦しみは自殺の代償であること」、「その苦しみはある時期が来るまでは続き、その時期が来れば必ず再出発ができること」、「その時が来るまではその苦しみを甘受しなければならないこと」を祈りの中で教えてあげるのです。ただ単に「苦しみから解放されますように」と祈るのではなく、ご本人に現状への自覚を促すよう祈ることが今一番必要なことだと私は考えます。その上で神や仏と呼ばれている存在に対して従妹の方へのご加護をお願い・お祈りすることが大切であるように思います。そうすれば彼女の守護霊や背後霊たちが良きに計らって下さるはずです。それらの総合的な結果によって“苦しみの期間は短く”なり得るかもしれません。ただし、サイト内でも書いているように本来の寿命が来るまではその状態からは開放されることはないと思われます。
また、はなさんご自身もいつまでも従妹の方の自殺に引きずられないようにすべきではないでしょうか?貴方がいつまでも心を痛めているとそれは従妹の方へも伝わり、彼女の苦悶を大きくする要因になってしまうかも知れないからです。残念ながら“生きている人間”が“死んだ人間”に対してしてあげられることはたかが知れており、全ての場合がそうであるように、現状を打破できるか否かはご本人の自覚と努力と心がけに左右されてしまいます。ですから、はなさんはいつまでも心を煩わせることなくご自身の人生をしっかり歩むようにしていくべきであると感じます。彼女のことを忘れるのではなく、何か象徴的な日に定期的に愛念や祈りを送ってあげるのです。そうすれば従妹の方も(自殺してから)どれくらい時間が経ったのかの目安にできます。彼女のいる世界には時計がないからです。
そして時が来れば従妹の方とはあの世で必ず再会できます。
以上が管理人による回答です。
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■なぉ様からのご質問とご意見
なぉ様からご意見を頂きましたので回答いたします。
(2011年9月19日 0:14 受信)
はじめまして。こちらのホームページを拝見し、思い留まることができました。
しかし、いくつか疑問が浮いてきました。なぜ人生設計のタスクを覚えていないのか、です。人生計画を覚えていた方が、目的意識がはっきりするのでこの世でももっと有意義に人生を送れるのではないかと思います。
それと今までの事を覚えていない点に関しても疑問が残ります。前回のこの世での生活はこうだったから今回はこうしようとか、あの世での感覚や記憶も残っていないと本質的な「自分」が見えません。霊としては一貫した記憶があるのでしょうが、人間という物質に移っている今、生前の記憶もあってこそ自分がわかり、自分がどう生きていくべきなのかがわかると思うのですが。
また感謝や善意とは、意識的に行っているものであったとしても他人の役に立っていれば評価対象になるのでしょうか?お答いただける範囲でお教え頂きたいです。
両親は選んで生まれたという事に関しては大変感動致しました。私はこの親のもとに自ら選んで生まれてきていると知って、自分の選択は間違っていなかったと感じます。両親が大好きです。
お読み頂き、ありがとうございました。
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。大まかではありますが、私個人の考えを以下に述べます。これらはあくまでも私個人の考えであり、霊的な意味において普遍的正確さを意味することではない、ということをあらかじめご承知ください。
まずはじめに「人生計画を覚えていたほうが目的意識がはっきりするのではないか?」というご意見に関してですが、人生計画上のタスク、つまり為さねばならに仕事ということには二つの面があると思います。社会に与える役割と、社会から受ける役割です。前者に関しては確かにそれを覚えているほうが人生をより有益にすることが出来るように思います。あらかじめ自分の行うべき仕事を分かっていたほうが無駄な“回り道”をしなくて済むからです。
問題は後者です。人生計画を覚えているということは、例えてみれば試験を受ける前からその試験に出る問題をあらかじめ知っていることになり、それでは地上生活という試験を受ける意味がなくなってしまいます。私はサイト内でも「地上人生は大切な学習の期間でもあり、試験期間でもある」と書きました。人生の中で不意に訪れる出来事(試験・テスト)にどのように対処し乗り越えていくかによってこそ、より大きな悟り、つまり霊的進化・成長・教訓の獲得を達成できるのだと私は考えます。そして同時に、過去世からの“負のカルマ”を解消していけるのだと思います。
さらに言えば、シルバーバーチ霊も何度も述べているとおり、それらの“悟り”はまず例外なく暗黒と思えるような体験を通して得ることになります。苦しみ・悲しみ・痛み・無念・失望・・・というような、この世的にはありがたくない体験です。もし自分の人生計画の中に散りばめられたそれらの“予定”を覚えていては、早い段階で人生に絶望し、生きる意欲を無くしてしまうかもしれません。それらを忘れているからこそ、今生を素直な心で前向きに生きていけるのではないでしょうか?
次に「今までの事を覚えていない点に関しても疑問だ」とのご意見についてですが、私個人としては“忘れる”ことは神(創造主・第一原因)と呼ばれている存在からの有り難き配慮のように感じます。少し極端な例えになりますが、もしなぉさんが過去世で誰かを殺めていたとして、それを今生でも覚えていたとしたらどうでしょうか?物心付いた頃から罪悪感に苛まれ、普段の正常な生活が送れなくなってしまうかもしれません。また逆に、誰かに無残に殺されていたとしたらどうでしょうか?それを記憶していたら常に無念で憂鬱な気持ちになり、その相手を憎み、復讐したいという気持ちに駆られるかもしれません。しかもその相手が身近にいるあの人として生まれ変わっていたらどうでしょうか?もし現在の親が過去世でまったくの赤の他人だったら・・・、もし親しくしてくれているあの人が過去世で自分を害した人だったら・・・、もし過去世では今とは違う性別だったら・・・等々、自分の過去を覚えているということは、他人のそれも覚えているということになり得ますし、他人も自分の過去を知っていることになり得ます。自分や他人の過去を記憶し、それらの人たちと過去世でどのような繋がりがあったのかを覚えていることが、果たして今生において自分や他人を利することに役立つといえるでしょうか?忘れることが出来ているからこそ、それぞれの人が今生を偏見を持たずに純粋な気持ちで送っていけるのではないでしょうか?
もちろん、上にも書いたように覚えていたほうが人生に有益になることもあるかもしれません。が、「忘れたほうが“より”その霊のためである」と神が判断なされたからこそ、私たちから(一時的に)記憶を取り上げておられるのだと私は信じます。
人はそれぞれ、その人が必要としている環境に置かれていると言います。このことを逆算して考察してみれば、自分に足りないもの、あるいは背負わされているカルマを浮かび上がらせることが出来るかもしれません。その環境を通して学ぶべきことや、解消しなければならないカルマを自覚する(思い出す)ということです。忘れているのはあくまでも顕在意識上であって、深いところ、つまり潜在意識内ではしっかりと全てを覚えています。それを思い出すのに必要なことは、静かな時間を持ち、自分の内面に意識を向けてみることだと思います。普段の生活をじっくり内省してみるのです。自分の感情や思考、行動を振り返り、それによって自分は何を得、何を失ったか、また他人に何を与え、何を奪ったかを注意深く(第三者的な立場で)観察するのです。これを辛抱強く続けることにより、自分の“霊的な立ち位置”と“人生の目的”を少しずつ自覚できるようになるのではないかと思います。
次に感謝や善意に関してですが、もしかしたらなぉさんの心の中に「これって偽善では?」との思いがあるのかもしれません。しかしよく言われるように、“やらない善よりやる偽善”です。もしそのような疑念があったとしても、その善意・善行が誰かの役に立ったという事実は何ら変わらないですから、小さなことでも積極的に出来得る範囲内で善行を続けていくことが大切です。それは功徳を積むことであり、カルマの解消を図ることでもあるからです。「人は思うとおりのものになる」と言われます。今は意識的に行っていることでも、いずれは無意識的に行えるようになると思います。何事でもそうですが、毎日コツコツ努力することが一つの目的を達成するための大切なプロセスです。
善行に関して一つだけ大切なポイントがあります。それは「右手が行うことを左手に知られてはならない」ということです。この意味は、善行は誰にも知られず行わなければならない、ということです。自分を良く見せようとしてそれを行ったり、他人からの賞賛を得るためにそれを行ってはならない、という意味です。善行は人から認められるために行うのではなく、神と呼ばれている存在に認めてもらうために行わなければなりません。
最後に、ご両親をとても慕われているとのことですが、それはとても素晴らしいことです。きっとご両親もなぉさんのことを好きなのだと感じます。もしかしたら強い霊的な絆で結ばれているのかもしれません。この場合、過去世でも同じ家族であったり、来世でも引き合い引かれ合って同じ家族を構成するということが多いようです。是非これからもご家族の絆を大切になさってください。
以上が管理人による回答です。
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■なお様からのご質問
なお様からご質問がありましたので、手短ですがお答えいたします。(ご質問の部分のみを掲載します)。
(2013年1月2日 22:52 受信)
今まで可愛がってくれた亡くなった祖父母があちらの世界で幸せでいて欲しいと常々思います。亡くなった祖父母にどうしたら幸せになってもらえるんでしょうか…いつも優しくしてくれて、本当に感謝しています。思い出す祖父母はいつも血色が良く満面の笑みを浮かべて優しく見つめてくれてます。祖父母の幸せをいつも祈っています、私はどうしたら良いでしょうか?どうしたら祖父母は幸せになれますか?
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。まずご質問の「亡くなった祖父母の幸せをいつも祈っています、私はどうしたら良いでしょうか?」についてですが、私が察するところ、祖父母のお二方は現在すでに幸せな境遇にあるのではないかと思います。
その根拠ですが、なおさんが「思い出す祖父母はいつも血色がよく満面の笑みを浮かべて…」と仰っていることです。霊界の霊は地上の人間に何かを伝えようとするとき、人間の心(精神)に思念や映像を吹き込み印象付けようとします。これと同様に祖父母のお二人も“幸せであることの現状”を“満面の笑み”という印象でなおさんの心に働きかけ、それをあなたは甦った思い出として認識しておられることが考えられます。つまりそれは、なおさんの祖父母を思う愛念の(お二人からの)回答であると私は感じるのです。
次に「亡くなった祖父母にどうしたら幸せになってもらえるんでしょうか…」ということですが、これに関してはなおさんがこの人生を精一杯生きていかれることが何よりも祖父母のお二人への恩返しに、そして励みになるのではないでしょうか?お二人には霊界でのお勤めがあり、またそれとは別になおさんの背後霊・指導霊としても働き影から援助して下さっていると思います。何か困ったことやつらい事があったときは心の中で相談されてみたら良いと思います。祖父母のお二人はできる範囲内であなたに助力して下さるはずです。
以上が管理人による回答です。
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■ダルタニアス様からのご質問
ダルタニアス様からご質問を頂きましたのでお答えします。
(2014年1月18日 16:38 受信)
先日は転載の許可を賜り、有難うございます。今回は質問をひとつさせていただきます。
物質世界の法律では『殺人罪』・『殺人幇助罪』があり、取り締まれますが、自殺に関しては該当者が死亡しているので『自殺罪』はありませんし、ましてや『自殺幇助罪』は存在しません。 自殺は確かに転生前に自分で決めたことを破棄したということで、自殺後の霊界入りはとても厳しいものになるでしょう。 自殺する背景にも依りますが、霊界にも『自殺幇助罪』というのはあるのでしょうか? つまり(犯罪被害者として)Aさんが自殺をするきっかけを作ったBさんに対して、仮にBさんが天寿を全うして霊界入りをしたとしても、ブループリントが開けられた時に『あのときAさんを自殺に追い込んだ罪』としてBさんに何か適用されるのでしょうか? うまく表現できなくて申し訳ありません。
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【回答】
まず最初にですが、霊界には地上の刑法のようなものは存在しません。ですから、自殺ほう助罪というようなものはありません。あるのは全ての存在を霊的進化・成長へと導くために規律付けられた自然法則(物的法則・霊的法則)だけです。
私たちはこの世にいてもあの世に帰ってからでも自然法則の一部である霊的法則の支配を受けていて、その中心的役割を果たすのが、いわゆる“因果律・カルマの法則”です。聖書では「自分が蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」という例え方で示された規則で、簡単に言えば「与えたものを受け取る」という単純な決まりごとです。このような法則の存在によって、私たちは自分が与えた“因”を何らかの形の“果”で受け取り、その因果関係を成就させながら毎日の生活を送っているわけです。
ですから例として出されたBさんの場合も、霊的人生のどこかの段階で自分がAさんに与えたものを受け取らなければなりません。それは今生に起こるかもしれませんし、来世(死後の世界・次の地上生活)に持ち越されるかもしれません。が、必ず与えたものを受け取らねばなりません。そうやって自然な流れの中で因果関係(カルマ)を解消していくのであって、霊界で閻魔様のような、あるいは裁判官のような存在がいて、罪状を読み上げて罰を下し強制的に服役させられるというのではないのです。
Bさんに限らず私たちは霊的法則の支配の下、原因と結果の連鎖関係をごく自然な形で受けながら、その人生体験の中から様々な学びを得つつ少しずつ霊として成長していきます。
霊的法則が存在することを理解し、自分自身の幸せを望むのであれば、今しなければならないことはおのずと分かってきます。つまり、普段から思考を正し、発言を正し、行為を正してできるだけ世の中の幸せのために自分を役立たせることが大切だということです。それが結局は廻り廻って自分自身を幸福へと導いてくれるからです。単純ですが、とても大切な真理です。
以上が管理人による回答です。
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■はる様からのご質問
はる様からご質問がありましたので、手短ですがお答えいたします。
(2014年5月24日 17:47 受信)
このサイトは大変私の役に立ちました。
自殺はしないが、その代わりに逃げることは可能ですか?どっかへ消失して、そこで新しい暮らしを始めることは、いけないことなのでしょうか?また逃げるというカルマを作ってしまうのでしょうか?
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。どのような事態から逃れたいのかが私には分かりませんが、たとえば対人関係のトラブルから逃れるために他の場所へ転居したいのであれば、それは別に問題ないと思います。ただし、もしもはるさんが気付いていない悪癖のようなものがご自分の中にあって、それがもとでトラブルが発生しているのであれば、どこに移ろうと似たようなトラブルを起こしかねないと思いますので、その際はまずはご自身の悪い癖、あるいは欠点を見つめ直していくことが先決であろうと私は考えます。
以上が管理人による回答です。
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■りー様からのご質問
(管理人注:ここでは回答文のみを掲載します)
りー様からご質問がありましたのでお答えいたします。
ご訪問ありがとうございます。大切な方を自死によって亡くされたという事で心中お察し申し上げます。苦しい胸の内も読ませて頂きました。このサイトの内容が何らかの役に立てたのであれば、作者の私としてもありがたいことです。
大切な方がどのような背景や動機で自死・自殺されたのかは分かりませんが、死後に置かれる境遇はそれらによって左右されます。決して地獄的世界で永遠に苦しみ続けるわけではありませんが、やはり苦悶はそうとう大きいであろうと思います。しかし時期が来れば必ず再出発できますのでその点はご安心ください。もっとも、その時はさらに大きな課題を背負うことになるかもしれません。
私が思うに、りーさんが今すべき大切なことはこちらの方への回答でも述べましたように、相手の方にご自分の身に起こっている事態に対して自覚を持って頂くことだと思います。そのためには、あなたが根気よく霊的知識を愛念に乗せて送ってあげ、自覚を促してあげることです。自殺のような形で霊界の低い世界に置かれている霊というのは、たいてい自分自身の悪想念で周囲に壁を作り孤立無援の状態になっています。ですからりーさんからの祈りや愛念は相手の方にとってとても助けになるはずです。地上において愛情で繋がっていた者同士は念が通じやすいからです。
ご質問の中に「寿命まではなるべく良いことをして頑張ればそこよりは上の階層に行けますよね?」というのがありましたが、これは自死されたご本人についてのことしょうか? もしそうであれば残念ながら「おそらく無理です」と答えざるを得ません。その理由は、そもそも善行というのはその機会を頂いてはじめて行えるもので、それはこの地上生活中に成就していかなければならないのです。言い方を変えれば「地上人生というのは善行を行い霊としての功徳を積むための大切な機会」と捉えることもできます。自殺した人は自らそれを放棄したのですから、自殺直後から善行の機会を与えてもらえるはずがありません。少なくとも本来の寿命が来るまでは、一切の善行の機会は与えてもらえないと私は主張します。従ってある一定期間中は向上は不可能だということです。
(管理人注:↑上記の段落は質問を誤解したことによる回答ですが、念のため掲載しておきます)
もうひとつのご質問で「もし私が寿命まで頑張って死んだあと、彼がまだ苦しんでいた場合、手助けに行くことは可能なのでしょうか」というのがありましたが、それはもちろん可能ですし、今からでも間接的に援助できます。それは上で述べたとおりご本人に自分の身の上についてしっかりと自覚を持って頂くよう愛念(霊的知識)を送ってあげることです。おそらくご本人は多くの人の悲しみの波動が自分自身に伝わってきて打ちひしがれているはずですから……。そのためにもりーさんご自身がまず悲しみを克服して、大切な方が前向きの心構えになってくれるよう祈ってあげることが重要だと思います。
そのうち「彼に愛念や祈りは伝わっているのだろうか?」という疑念が出てくるかもしれません。こればかりはあちらで再会して真偽を確かめるしかないのですが、もしかしたら夜寝ているときに夢の中にご本人が出てきて、何らかのメッセージかシグナルを知らせてくれるかもしれません。夢に注意してみてください。故人が夢に出てくることはよくありますから。私にも経験があります。
以上が管理人による回答です。
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■ぽこ様からのご質問
ぽこ様からご質問を頂きましたのでお答えいたします。
(2015年5月29日 22:20 受信)
わたしの類魂が2011年の12月に自殺しました。
わたしと彼女は類魂といってもけっして仲がいいわけではなく、小さいときからずっと彼女に一方的にいじめられて泣かされてすごしていました。
わたしは元々霊媒体質で、それからというもの、彼女の霊がつきまとい大変ないやがらせを受けました。彼女はわたしの体が欲しくてそれでわたしに付きまとっていました。それから、信頼できる霊能者に頼んで浄霊してもらい、その時にわたしと彼女が類魂だと教えてもらいました。
その時はショックで心の底から自分をこの世から消したいと本当に思いました。ずっといじめられた上に、死んでまでも彼女に嫌がらせを受けた相手が実はツインソウルだという事実はわたしにとって、とても受け入れられないです・・・。自分の類魂なのに、何一つわたしにしてくれたことはありませんでした。30年近くも一緒にいたのに。自分を散々いじめぬいた相手が実は類魂だったということがショックで頭がおかしくなりそうです。
わたしは今まで類魂はお互いに助け合う存在だと信じていました。しかし、わたしの類魂の場合は逆で、わたしをいじめては楽しんでいました。また、彼女が自殺してからというもの、わたしの性格が彼女のようになってしまいました。以前はそんなことはしなかったのに、人をいじめるようになってしまったのです。自分でも正直嫌でたまりません。自分の類魂が自殺した場合、このように性格が変わってしまうものなのでしょうか?
また、なにひとつわたしを支えてくれず、おまけに彼女の自殺で自分の性格が変わってしまって気がついたら彼女に向かって、悪口を言ってしまいます。最近はさすがに彼女はわたしの応援をしているようですが、正直いいましてうれしくありませんし、会いたくもありません。彼女のことを思い出すたびに号泣します。類魂にとってわたしの存在はどうでもいいみたいで毎日が地獄です。
こういう類魂の場合、いったいどうやって乗り越えたらいいでしょうか?
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。あくまでもスピリチュアリズムの観点からお答えさせて頂きますので、参考程度にお読みください。
まず初めにメッセージの中で「霊能者に相手が自分の類魂だったと教えられた」とありましたが、私は正直に言うとこれには疑念を感じてしまいます。というのは、類魂の仲間同士、その中でも特に親和力の強い双子霊(アフィニティ)が同じ天体、同じ時代、同じ国、同じ地域に同時に生まれてくることはまずあり得ないからです。その理由は単純で、同じ霊を構成する二つの類魂が同じような環境下で似たような体験をしても、類魂全体の成長の観点からすると効率が悪いからです。絶対にあり得ない訳ではありませんが、あるとすれば余程大きな霊的使命を担った者同士のはずです。バーバネル夫妻がそうでした。
ですので霊能者の言葉をそのまま信じてしまうのは性急のような気がします。本当にそうであったか否かはあの世に帰ってからでないと分かりませんので、断定はせず保留しておくほうがよいのではないでしょうか。それよりも、私には過去世からの霊的因縁が今生に影響を及ぼしているような感じを受けます。
私には相手の方が本当にぽこさんの類魂なのかどうかは分かりません。霊能者がどういう意味合いでその言葉を使ったのかも分かりませんので、その問題は脇へ置かせて頂き、以下の文は一般論としてお読み頂ければと思います。
ご質問に対して私が出来得るお答えとしては「相手の方の霊的成長、向上を愛の気持で心から祈ってあげる」としか言えません。ぽこさんが相手の性格に似てしまうのはそこに“共鳴関係”があるからではないでしょうか。あなたがどんなに彼女のことを嫌って離れたいと思っていても二人の間には共通の精神的要素があり、それが悪い形で引き合い、影響を受け合う関係を作り上げているということです。霊媒体質ならなおさらです。それらの要素を無くし共鳴関係を絶たなければ、いつまでも相手からの影響を受け続けてしまうと私は感じます。
たとえば、同じ周波数の音を出す音叉を二つ用意して一方を叩くと、叩いていない方も共鳴して音を出し始めます。共鳴させないためには一方を違う周波数の音を出す音叉に変えなければいけません。それと同じで、ぽこさんは相手への思いを180度変える必要があるのではないでしょうか? つまり、憎しみ、恨み、嫌悪といった負の思念を、愛、慈悲、哀れみといった正の思念に変えていくということです。相手が出す悪い想念を善の想念で相殺・中和していく訳です。そうしていく内にぽこさんの心に占める相手の比率も小さくなっていき、さらに繋がりも細くなっていくことで精神的にも楽になれるかもしれません。難しいことではありますが、そういう努力も必要だと思います。
上でも述べたように、もしかしたらお二人の関係は過去世からの霊的因縁によって結ばれているかもしれません。そしてその解消が今回の人生の課題の一つかもしれません。和解しあうということです。それをぽこさんの側から始めてみてはいかがでしょうか? 相手の方は自殺してしまったということで、おそらくまだ低い世界に置かれているはずです。あなたの助けが必要かもしれません。相手の方が考えを改め正しい道を見出せるよう祈ってあげることは、ぽこさんにとっても“カルマの解消”という点で重要なことではないでしょうか? 私はそのように考えます。
以上が管理人による回答です。
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■苺様からのご質問
【回答1】
苺様からご質問を頂きましたので手短ですが回答いたします。
ご訪問ありがとうございます。ご主人様を自死で亡くされたということで心中お察し申し上げます。
ご質問の「家族が自殺することを前提とした人生計画は有り得るか」に関してですが、私個人としては有り得ないと思います。その理由ですが、自殺というのは霊的法則に反する行為で、明らかな不正です。この世に誕生するためには霊界側の承認が必要ですから、自殺という不正を犯すことを前提とした人生計画を霊界側が承認することは有り得ないのです。ですから誰も自殺を前提とした人生を送る人はいません。従って“家族が自殺することを組み込んだ人生計画”というのは絶対に無いと私は断言します。シルバーバーチ霊も“自殺することを前提とした人生”というものについては『シルバー・バーチの霊訓 第十巻』P.60で明確に否定しています。
すでにお読みになったかもしれませんが、こちらやこちらの方に差し上げた回答を参考に、ご主人が少しでも楽になるように愛念を送ってあげてください。苺さんご自身も、本来の人生計画が大きく変更されてしまうことで精神的にも苦しい時期が続くと思います。しかし貴方の背後霊たちがこれからの人生の段取りを整えてくれるはずですから、今はなんとか耐えて頑張って頂ければと思います。
以上が管理人による回答です。
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【回答2】
苺様から再びご質問を頂きましたのでお答えいたします。
ご質問の「主人は新盆に帰ってこられるか」についてですが、それは残念ですが無理だと思います。帰って来られる霊はこの世で寿命を全うし役割を果たした者だけです。彼らは故人を偲ぶ思いを感じ取って自分の意思でこの世に戻って来るのです。
自殺者は一種の罰として隔絶された世界で自分の行為の反省を迫られており、苺さんをはじめ、自分と縁のあった人たちの心の動き(苦しみや悲しみ)といったものを全て感じ取っています。そういう形で自分の行為が与えた影響に直面させられているのです。それは身動きの取れない状態であり、従ってご主人は自分の意思で貴方の元に帰ってくるというのは不可能のはずです。
しかしご主人が戻って来ないからといってがっかりなさらないで下さい。霊にはこの世的な距離には関係なく思いを伝えることができます。自殺という普通とは違う状況なのでそれが通じにくくなっているかもしれませんが、根気よく愛念を送ってあげてください。ご主人に霊的な知識が無ければご自分の置かれた境遇に恐怖を感じているかもしれません。そこで苺さんが状況を説明してあげれば彼も落ち着けるのではないでしょうか。とにかく今は現状を認識して頂くことが最も大切です。それが自殺者に対する一番よい供養法だからです。
こちらの方にも書きましたが、夜寝ているときに見る夢をよく観察してください。ご主人もしくは貴方や彼の背後霊が何らかの情報を伝えてくれるかもしれません。目覚めたときに残っている夢の印象などを注意深く探ってみて下さい。
以上が管理人による回答です。
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■れーこ様からのご質問
れーこ様からご質問を頂きましたのでお答えいたします。
(2016年11月30日 18:33 受信)
迷い迷ってこちらのサイトにたどり着きました。思いとどまることが出来ました。ありがとうございます。
両親を選んで生まれて来ると書かれていらっしゃいますが、私は母とどうしても上手くやっていけません。心を病んだ理由の一つにもあるそうです。躾という言葉の下で、私は叩かれたり、階段から突き落とされたり、怖い記憶しかありません。ケガをしたのに見捨てて自転車で走り去って行く母の後ろ姿は半世紀過ぎても、昨日の事のように思い出されます。
母も高齢で施設におりますが、面会に行こうとすると吐き気がします。
私共に残された時間は少ないと思います。どのようにすれば良いのでしょうか?
趣旨違いのお話でしたら失礼をお許しください。
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。お母様との間での辛い体験を読ませて頂きました。以下はあくまでも霊的な観点からの回答ですのでどうぞご了承ください。
ご質問の件ですが、まずご理解頂きたいのは、私たちが地上に生まれ出る際に両親を選ぶとき、自分の好みや気が合うか合わないかを選択基準にしているわけではない、という点です。地上人生において最も大切なのは霊的成長と負のカルマの解消という二点であり、それを叶えてくれる一つの要素として地上における両親を選択します。
おそらくれーこさんには「なぜこんな親の元に生まれてきたのか…」という長年のご不満があったものと察せられますが、上記の点から考慮すれば、れーこさんにはそのような親を選択しなければならなかった霊的因縁、あるいは負のカルマが存在していたと考えるのが妥当ではないでしょうか。選択ミスということではなく、あなたが霊的に浄化され一段向上するためにはお母様は必要な存在であったということです。
次のように書くと心理的反発を覚えられるかもしれませんが、もしお母様のおかげでれーこさんの負のカルマ(霊的負債)が少しでも解消されたのであれば、むしろ感謝の対象としなけらばならないはずです。あなたの霊的向上を妨げていた手かせ足かせを引き受けてくれたわけですから…。面会へ行かれる時は憎しみや恐怖の感情ではなく「感謝しに行く」くらいの気持ちで行かれるのがよいのではないでしょうか。そして、言いたかったことや聞きたかったことなどを語り合って、残された少ない時間の中でお互いを理解しあう努力をすることは大切なことだと私は思います。
以上が管理人による回答です。
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■中村様からのご質問
中村様からご質問を頂きましたのでお答えいたします。
(2017年05月06日 23:35 受信)
こちらのページを拝読し、ご質問させていただきたく、書いております。
私は30年以上前に兄を自殺で亡くしており、自殺者の霊は死後も苦しむというのは実感しております。何もゆかりも無い数名の方から、兄が苦しんでいるという指摘を受けて驚いたことが何度かあります。
今私が悩んでいるのは、兄のことよりも実母のことで、もう80歳を過ぎ高齢ですが、私にとって母親は命そのものであり、夫も子供もありながら、母親亡き後の人生が考えられません。
母親にもしものことがあれば、自殺はしませんが、あまり時間をおかずに自分もあの世に行きたいと強く思います。
このような考えは母親を悲しませるだけですし、良くないことは分かっていますが、精神不安の夫とともに歩む人生に嫌気が差し、娘は自立して私から離れてくれることを願っています。
私は日々不安で迷いの中にあります。自分自身の人生をもっと前向きに生きるためには、どうしたらよいでしょうか?
勝手な質問ですが、ご回答いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
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【回答】
ご訪問ありがとうございます。正直なところ、私は人生相談のような質問は苦手なのですが、力不足だとは思いますが回答させて頂きます。
私ができるアドバイスがあるとすれば次の二点になります。一つは、お母様に代わる新しい生きがいを見つけておくこと。もう一つは、本来死というものは素晴らしい祝福の瞬間であることをご自分に納得させておくこと。この二つです。
まず一つ目のアドバイスですが、文章を拝読すると、中村さんはお母様に精神的に依存しすぎている様子がよくわかります。あなたにとってはお母様が生きがいそのものであり、その母を失うということは生きがいを失うことと同義であり、近い将来にそれが現実となってしまうのではないかという感覚が、付きまとう不安感の正体であろう思います。
その上での提案なのですが、まだ時間的余裕のある今のうちに、お母様への精神的依存状態を極力減らし、別の生きがいを見つけ出しておくということが必要なのではないでしょうか。「母がすべて」といういわば視野狭窄の状態から、それを広げて「世の中には母に対する思いと同じくらい、大切なことがある」という気付きを進めてみてほしいということです。
もし「母がすべて」という状態であれば、お母様が亡くなればすべてを失ってしまうことと同じになってしまいますが、「母以外にも大切に思えるものがある」という実感を見つけ出しておくことで精神的なゆとりができ、仮にお母様にもしものことがあった場合でも心が持ちこたえることが出来るのではないでしょうか。
生きがいになるのであればどんなものでもよいと思います。自分を何らかの形で役立たせる生き方でもよいですし、熱中できる趣味を見つけることでもよいですし、習い事を始めてみるのもよいかもしれません。とにかく心の支えになるものをいくつも用意しておいて、お母様に依存しすぎない状態を努力して作り出しておくことが、今の中村さんにとって一番大切なことのように私は感じます。
二つ目のアドバイスについてですが、霊的なお話になりますが、自殺のような場合は別として、死ぬということは本来ありがたいことなのです。老いてあちこちが痛み、不自由になった肉体から離れることができ、また煩わしいこの世の雑事のすべてから解放される瞬間です。あの世に帰って若々しい姿に戻り、先に他界していた愛しい人たち、動物たちと再会できる喜ばしい瞬間でもあります。中村さんのお母様にもその時が刻一刻と近づいているのです。
ですから、中村さんにはぜひ次のような自問を、その日が来るまで続けてみてほしいと思います。「そのような素晴らしい瞬間が母にも訪れるというのに、私は自分のエゴ、母を老いた不自由な身体にいつまでもいつまでも閉じ込めておきたいという、わがままな思いを続けていてもよいのだろうか?」と。
中村さんはご自分の娘さんに対して「自立して自分から離れてほしい」と書かれています。もしかしたらお母様もあなたに対して同じように思っておられるかもしれません。この場合は精神的な自立です。もし今の自立できていない状態でお母様が亡くなれば、高い確率で地縛霊のような状態に陥ってしまわれるかもしれません。あなたの強い嘆き悲しみが重しとなって、素晴らしい世界への旅立ちが出来なくなってしまうからです。
ほとんどの人にとっては親が自分よりも先に他界するということは宿命です。中村さんがお母様のことを思うように、お母様もご自分の両親に会いたいと望まれているかもしれません。そう遠くない将来にそれが実現するのです。長い間待たれました。そして今度はあなたが待つ番です。お母様が亡くなってしまわれたとしても安易に死にたいと思うようなことはやめて、寿命が来るまではしっかりと生き抜くという強い決意が必要ではないでしょうか。それはお母様を安心させてあの世へ送り出すことにも繋がるからです。
以上が管理人による回答です。
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