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■自殺者たちの死後1
ここからがこのサイトの本題になります。
自殺によってもたらされる苦しみは計り知れません。それによって死を迎えた場合、自殺者はこの世で感じていた苦しみよりも大きな苦しみを、あの世で感じることになります。それを自殺を考えている方に知っていただこうとするのがこのサイトの目的です。
ではここからは実際に自殺した者たちが死後、どのような環境に置かれるのかを見ていきます。彼らを待ち受ける世界はそれぞれ違っており十人十色だと言えます。しかし確実に言えることは、自殺霊たちに安息の場所は無い、と断言できることです。このページではまず、自殺未遂者による臨死体験談を紹介します。
トップページ ≫ 自殺者たちの死後1 ≫ アンジーの臨死体験
■アンジーの臨死体験
以下の体験は自殺未遂者による臨死体験談です。一般的な臨死体験とは違う重苦しい体験内容になっています。このことを知れば、自殺者が死後にどのような環境に置かれるのかをわずかながらも知ることができます。
『臨死体験で見た地獄の情景』の著者アンジー・フェニモアは、人生においてのさまざまな苦悩から、手首を切り、薬を飲んで自殺を図りました。意識が薄れていく中、アンジーの霊が肉体を離れていくときの感覚を彼女は次のように述べています。
わたしはそのとき、別の次元に移りつつあった。轟音とともにとてつもないエネルギーに包まれ、まるで離陸中のボーイング747の通路に寝ているような感じがした。わたしの体は、薄い赤い毛布の下にじっと横たわっていた。低いうなるような音を立てて、その体から魂が離れ始めた。死の発するエネルギーがわたしを引きずりこむにつれ、うなるような音はしだいに高まり、かん高い金属音に変わった。まぶたの裏側らしい、薄桃色の光が見える。すごい勢いで沈んでいくような感覚を、その光が和らげてくれた。
(P.117)
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一般的な臨死体験の場合、体験者は比較的幸福な体験を経験しますが、自殺の場合はそのようなことはありません。なぜなら、自殺は殺人に匹敵するほどの罪だからです。自殺者は地上で受け持った役割を果たさないまま自らの手で人生を切り上げた罰として、暗黒の世界へと沈んでいくことになります。
アンジーはその後、何度か意識を取り戻しますが、やがてその霊は肉体から離れていき、いわゆる“あの世”と呼ばれている世界に行き着きます。彼女はその世界の第一印象を次のように語ります。
ここはどこだろう?あたりは完全に真っ暗だ。それでも目が慣れてきたのか、光もないのにまわりがはっきり見えた。自分が固い地面のような所に立っているのはわかるが、そこにはなにもない。闇は四方に果てしなく広がっている。闇といっても、ただの闇ではなく、無限の虚空、光なき世界という感じだ。その闇には、それ自体の命と目的があった。闇はすべてをのみこんでいた。
(P.132)
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人間が死ぬと生活の舞台をあの世、つまり霊界に移します。霊界では厳然とした法則があります。それは、霊のレベルや共通点、あるいは趣味や嗜好など似通った者同士が寄り集まって生活するというものです。この世とは違い、あの世では善人と悪人とは一緒に住むことはできません。この法則は自殺霊であっても例外ではなく、自殺者は同じく自殺した者たちと共に霊界の特定の場所で生活していくことになります。
アンジーは続けます。
なにか見えないかと首をめぐらせ、濃い闇に目をこらすと、右のほうに、ひとにぎりの人が肩をならべて立っているのが見えた。十代の子供たちばかりだ。「わたしたち、みんな自殺者なのね」わたしは笑って口を開いたが、声を出す前にことばがころがり出た。(…中略…)この子たちはいまのことばが聞こえただろうか、と思ったとき、となりにいた少年が反応を示した。(…中略…)少年はひとことも口をきかず、ただゆっくりとわたしを見下ろし、それから前に向き直った。顔は完全に無表情で、目にも暖かみや知性の色はまったくない。少年もほかの子供たちも、闇の中でただぼんやりと、思考を失ったように立ちつくしていた。
(P.132-133)
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霊界でのコミュニケーション手段はテレパシーです。地上では発声器官を使って空気を振動させることにより意思疎通を図りますが、霊界では意念を送ることにより意思を伝えます。アンジーが「声を出す前に言葉がころがり出た」というのはこれに当たります。
実はこの意念での意思疎通というのも自殺霊にとっては苦しみの要因として働きます。なぜなら、地上に残した遺族の苦しみや悲しみが、自殺した本人の霊的意識に直接的に伝わってくるからです。それらが伝わってくることによって、彼らがどれほど苦しみ悲しんでいるのかを知り、そのような状態に追い込んでしまった自分を責め、後悔するのです。
アンジーは子供たちの小さな集団を観察した後、未知の力によって別の場所に移動させられます。そこは数千、数万もの自殺霊によって形作られた世界でした。彼女はその場の雰囲気を次のように叙述しています。
わたしが降りたのは、闇に浮かぶ薄暗い平面の端で、見渡す限りずっとその平面が続いていた。地面は固いが、足元に渦巻く黒い霧におおいつくされて見ることはできない。その霧は腰までの深さがあって、わたしはその中にとらわれていた。あたりはパチパチはじけるようなエネルギーに満ちていて、それに充電されたように、一触即発の異常な緊張感が体にみなぎった。このときも、周囲のようすは、肉体的な感覚ではなくテレパシーのようなもので感じとっていた。霧は煙のように濃く――濃密な闇の分子が集まってできているような感じだった――手にとって形づくることさえできた。この黒い霧には命があり、どこまでも陰湿な、邪悪ともいえるある種の知性もそなわっていた。その霧はわたしに吸いつき、わたしがその力に逆らって動くと、その動きをのみこんでわたしを恐怖と不安に引きずり込んだ。生きているあいだも、日々の勤めを果たせなくなるほどの苦悩と絶望にさいなまれ続けたが、周囲から隔絶されたこのときの苦痛といったら、それこそ想像を絶するものだった。
(P.135-136)
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アンジーはその世界の住人たちの様子を次のように語ります。
その平面には、子供を除いたあらゆる年齢層の男女がいて、立ったりしゃがんだりうろうろ歩いたりしていた。ぶつぶつひとりごとを言っていう者もいる。見たところ全員白人だが、肌の色といった外面的なこととは別に、彼らにはそれとわかる暗さがあった。その暗さは、体の奥からわき出て、オーラのように周囲に発散されている。わたしにはそれが感じとれた。彼らはみな自分の考えに没頭し、自分のみじめさのことしか考えておらず、そのせいでほかの人と知性や感情のやりとりができずにいた。お互い心を通じあわせる能力はあるのに、闇にその能力を奪われているのだ。
(P.137)
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彼女はその世界の住人のある女性と男性に注目し、次のように彼らの様子を描写しています。
中年で、髪を大きくふくらませたその女性は、自分のしたことは間違っていない、自分は悪くないのだ、とくり返しくり返し考えていた。まるで過去の亡霊に話しかけて、責任をなすりつけているようだ。彼女は何年も前からここにいて、誰も聞いてくれないのに、空疎で無意味な言いわけをくどくどくり返しているように見えた。
(P.138)
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わたしの横には、六十歳ぐらいの男性がいた。髪には白いものが混じっている。ここではなにもかも、黒か、さまざまな濃さの灰色に見えるのに、どういうわけか、この男性の目は青いとわかった。その目は、完全にうつろだった。汚い白のローブを引きずって、哀れっぽく地面にしゃがみこんだその姿は、なんの感情も発してはいなかった。自己憐憫すら感じられない。ここで知るべきことは全部知ってしまったので、考えるのをやめることにした、という感じだった。その男性は、すべての活力を失って、ただ待っていた。彼の魂は、はるかな昔から、ここで腐り続けているのだ。
(P.139)
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地上での人生では、たとえ苦しい時でもある程度の気晴らしができます。例えば睡眠や食事を取ることができます。テレビを見たり音楽を聴いたり、あるいは家族や友人たちと会話をすることができます。しかし、自殺霊が住む世界ではそのようなことはできません。さらに霊界には時間がありません。正確には、この世的、つまり地上界のような昼と夜を交互に繰り返す規則的な変化が無いのです。自殺霊たちが住む世界では24時間四六時中、暗黒と苦悩に満ちた中での生活を余儀なくされます。肉体を脱ぎ捨てると霊的感性が増し、それだけ苦悩が増幅されるのです。
アンジーは、この世界での一番の苦痛は“孤独”だと言います。
だが、それ以上に苦痛だったのは、完全にひとりぼっちだという感覚がだんだん強まってきたことだった。誰かの激しい怒りが心の耳に届けば、たとえ不愉快であっても、ある種の交流を実感できる。しかし、この空虚な世界では、人とのつながりはいっさいなく、その孤独感は恐ろしいほどだった。
(P.140-141)
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地上界では絶対的な孤独というのはあまり体験できないので、アンジーの体験した孤独感というのはなかなか想像しづらいものです。自殺者の多くは“無”になることを望んで自殺するのですが、自殺後に置かれる環境は自分という存在以外“無”という状態になります。自分自身を“無”にするという思惑以外は本人が望んだことが現実になる訳です。さらに、自殺時の絶望感などのネガティブな意識が霊的な壁を作り、それが他の存在たちとの繋がりを阻害する要因となります。これらがアンジーの言う「恐ろしいほどの孤独感」を生じさせるのです。
上の引用で紹介した六十歳ぐらいの男性についてアンジーは、「イエス・キリストが生きていた時代の人間のようだ」と言っています。もしそれが本当なら2000年近くもこの絶望と孤独の世界に閉じ込められていることになります。まさに彼女の言うとおり、“腐って”いるのです。
この闇の世界に次々と自殺者が流れ着いてきている様子をアンジーは見ています。
闇の平面には、死んだばかりの人が次々と流れついていた。着ているのは白いローブだが、どれも汚れている。その呪われた人々は、両腕をわきにたらし、無表情な目を虚空の一転に向けたまま、夢遊病者のようにひっそりと降りてきた。みんな、わたしがきたのと同じほうからやってくる。疲れはて、希望を失った、人生の負傷者たち。彼らは、真の死を信じ、それに救いを求めたのだろう。牢獄の中にできた何重もの列は後ろにむかってどんどんふえ、闇もそれにつれて広がっていった。
(P.183)
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以上はアンジーが自殺して霊界の低階層、つまり地獄と呼ばれている世界へと落ちていったときの様子です。彼女はそこで、まるで廃人のようになっている霊たちの様子を見ることになりました。
アンジーはこの直後に、「自分が自殺で死んだ場合、周囲の人たちにどのような悪影響を及ぼしてしまうことになるか」を見せられることになります。それについてはここで紹介しています。
続いてアンジーの体験と似た事例を紹介します。
アメリカ人の霊能者でヒーラーのメアリー・T・ブラウンの著書『死後の世界からの声(メッセージ)』の中で、メアリーの友人のステラという女性が次のような体験をしています。
私(メアリー)の知り合い(ステラ)が、重い病気にかかり、からだの痛みにひどく苦しめられていた。理性を失った彼女は、致死量の鎮痛剤をのみ込んでしまった。娘がすぐに発見したおかげで、彼女は息を吹き返すことができた。そして意識を失っていたとき彼女がいきついた場所について、私に教えてくれた。
「とても暗い場所だったわ。ほとんど真っ暗闇だった。自分が大変なことをしでかしてしまったんだとわかってくると、恐ろしくてたまらなかった。とにかく自分のからだに戻りたかったわ。(…中略…)娘が泣き叫ぶ声が聞こえるんだけど、どうしてもあの子のいるところへ戻れないの。前にも、後ろにも進めないような感じだった。私、祈ったわ。神様に、どうぞからだに戻してくださいって懇願したの。薬をのみ込んだとき、私は自分のしていることが分かっていなかったんですって言いながら。想像してみてよ。うつろな、ほとんど暗黒の空間にすわりながら、死んでもいなければ生きてもいないっていう状態を。しかも、自分が人を傷つけたっていう意識ははっきりしているのよ。みんなが悲しんでいる声が聞こえているんだから」
(P.152)
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ステラの体験はアンジーほど詳しくはないのですが、暗黒の空間へと行き着いたという共通点があります。さらに、その場所にいたときは多くの人の悲しみが伝わってきたとも述べています。
著者のメアリーは、自殺の問題性に関して次のように述べています。
世の中には、臨死体験を語るすばらしい本がある。だが自らの意志で死にかけた人が、楽しい臨死体験をしたという話は、まだ読んだことも聞いたこともない。自殺未遂をした人がいってきたという場所はみな、不快きわまるところなのだ。
それに、転生の時がくれば、前世で自らの命を絶つことになったのと同じ状況下に生まれ変わることになる。その試練は、物質界での経験を絶つことなく、乗り越えなければならない。自殺は、物質界での問題を先送りした上に、精神的な苦痛を新たに引き起こすだけなのだ。
(P.154)
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メアリーが下線の部分で大切なことを述べています。自殺者は生まれ変わって同じ試練に直面する、ということですが、これについては自殺者たちの死後4でも取り上げています。
最近では様々な方法による自殺がニュースやネットで報じられていますが、どのような方法であれ、自殺した人たちは自殺後、意識が戻って自分を取り巻く世界を認識して驚愕するかもしれません。おそらく、アンジーが見たような世界へと落ち込んでいくと思われるからです。そこで果てしない時間の中で、自分の行った無責任な行為に対する罰を受けることになります。本当の苦悩は自殺後に始まることになるのです。
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■日本人による体験談
次は日本人による体験談です。アンジーやステラの体験とはかなり趣が違うことが分かります。
『自殺者が語る死後の世界』では、“霊界通信”という形で自殺者が自殺後に置かれている自分自身の悲惨な境遇を語っています。ここではアンジーと同じ“自殺未遂者”による臨死体験を紹介します。
辻村麻樹(仮名)さんは家族関係に悩み服毒自殺を図りました。三十時間のあいだ死線をさまよったあと生き返ります。その間に臨死体験をするのですが、以下がその体験内容です。
麻樹さんが立っていたのは、そそり立った岩山にある細い一本道だった。身体をまっすぐにしていないと落ちてしまいそうな細い道で、麻樹さんは足がすくんでなかなか歩けなかった。
でも歩かなければならなかった。すぐ後ろに、まっ黒で顔の形もなにもわからない人のようなものが、まっ赤に燃えたヤリのようなものを持って立っていて、麻樹さんに歩くよう突くのだった。
麻樹さんはガタガタ震える足を踏みしめ、ヤリに突かれながら細い道を歩いた。怖くて歩けなくなり、うずくまってしまったとき、ヤリで背中を強く突かれた。
麻樹さんの身体はマリのようになって細い道を転がり落ちていった。落ちたところは、大きなツボのようなもののなかだった。見ると、足元にたくさんの白骨になったネズミみたいなものがいて、麻樹さんの足に噛みつこうとした。
麻樹さんは、悲鳴をあげながらそこから逃げようとした。ようやくツボの中に手がかかった。すると、さっきの燃えているヤリが麻樹さんの手を突いた。熱いのと痛いのとで悲鳴をあげて手を放した。ツボの底には白骨ネズミが噛みつこうとしていた。麻樹さんは気が狂いそうだった。なんども逃れようとした。
突然、麻樹さんの身体がスーッと中に浮いた。ツボから出た麻樹さんは、鳥のように空を飛んだ。飛んでいるうちに、目の前に大きな木が見えてきた。どんどん木に近づいた。そのままでは木に正面衝突してしまいそうだった。なんとかぶつからないようにしようとしたが、どうにもならなかった。そしてついに木の太い幹にぶつかってしまった。
つぎに見えたのは、死んだ人が首から下を土のなかに埋められているところだった。よく見ると、その埋められているのはお母さんだった。麻樹さんはびっくりしなかった。知らん顔をしてそのそばを通り抜けようとしたとき、お母さんの手がにゅうっと伸びてきて麻樹さんの足をつかまえた。麻樹さんはその手を払いのけて逃げ出した。だが、お母さんの手は放れなかった。
麻樹さんは、這ってようやく入る穴のなかに逃げこんだ。そこにはドクロがいっぱいあって、なにかわけのわからないことを話していた。
麻樹さんが恐ろしさにすくみあがっていると、にゅうっと大きな手が伸びてきて首をつかまえ、力いっぱいひっぱった。苦しさにばたばた暴れているとき、意識が戻り、生き返ったのだった。
(P.161-162)
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麻樹さんの体験の中で、「死んだ人が首から下を土のなかに埋められている」という状況を観察しています。この著書に書かれているその他の人の体験では「地面一面に人の顔をした花が咲いている」という状況を観察している人もいます。これらを見て思い出すのが映画『奇蹟の輝き』の一場面です。死んで霊界生活を始めていた主人公が、夫や子供を失った苦悩から自殺してしまった妻を探し出すために地獄へと降りていくのですが、その途中で辺り一面に「首から下を地面に埋められた大勢の死者たち」の存在する場所を通り過ぎていく場面があります(右画像)。個人的に、この映画は霊界の様子を“比較的まとも”に描いていると思うので、興味のある方はご覧になってみると良いかもしれません。
まず初めにこれら臨死体験による体験談を読んでいただきました。霊的世界(霊界・あの世)は多次元・多層構造になっており、生前の行い如何によって行くべき世界が変わってきます。私たちは本来持っている寿命をこの世で全うしなければなりません。自殺は途中棄権であり、それは罪を犯したことになるのです。そして、この罪を犯した者は霊界では低い境涯、つまり地獄的な階層に行かねばなりません。そこである一定期間苦しみ、その罪を償うことになります。地上での役割を放棄したこと、これが罪になるのです。
自殺した者が霊界でどのような境遇に置かれるのかは人それぞれ違います。同じ自殺未遂者による臨死体験者でも、アンジーと麻樹さんとの体験では違いが見受けられます。前者は精神的な苦痛を感じ、後者は物理的肉体的苦痛を感じています。霊界では物的身体はありませんが、だからといって身体的苦痛を感じない訳ではありません。霊界の低階層では地上の人間と同じように肉体的な苦痛を感じるのです。
自殺は自分自身に悲惨な状況を引き寄せます。アンジーや麻樹さんは息を吹き返して事なきを得たものの、仮に死んでしまっていたら彼女たちが見た世界に絶望的な長い期間留め置かれていたかもしれません。次のページからは、自殺で死んでしまった場合どのような事態を自らに引き寄せることになるのかを、いくつかの事例によって見ていきます。
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