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トップページ ≫ 人生の意義について3

人生の意義について3

地球卒業の条件
“人のため”の霊的真意
有象無象の中で 苦しみの意味と価値

 前のページでは、地上で理想的な人生を送った人が死後どのような境遇を迎えることになるのかについて見ました。このページではもう少し地上人生の意義について霊的な視点から掘り下げてみようと思います。

トップページ人生の意義について3地球卒業の条件

地球卒業の条件

 ここでは、どのような資質を身に付ければ霊的な教育の場としての地球を卒業できるのかについて見てみます。

 自殺の動機でかなりの割合を占めるのが健康問題です。病で将来を悲観して自ら命を絶つ、ということなのですが、病気というものが実は前世からの負のカルマを解消するための絶好の手段である場合があります。

『エドガー・ケイシー 地球卒業者18人の過去世』 中央アート出版刊 そのことについて、エドガー・ケイシーによる“リーディング(過去世透視)”を元にした『地球卒業者18人の過去生』から一つの事例を紹介します。


 エドガー・ケイシーは十九世紀後半から二十世紀前半にかけてアメリカに生きた人物です。彼は催眠術によってトランス状態に入ることにより、相談者の健康状態を透視したり過去世を読み取ったりすることができました。この書籍ではその中でも「もはや地球に生まれる必要がない」と指摘された相談者を取り上げたものです。

 その中のある女性が、次のような相談を投書でケイシーに依頼します。彼女は肉体的苦痛に苦しみ、なぜ自分はこのような身体を持って生まれてきたのかと質問しています。

 「私は神様のお力が私を生かし動かすのだということを信じて、これまで人生の大半を生きてきました。今、私はよくなるために硫黄の風呂に入ってはマッサージを受けています。右の耳とエウスタキー管は駄目になってますし、直腸は肥大化しています。一日中疲れてます。腕を使うと心臓の働きが低下し、長いこと立ってますとクタクタになります。寝たり立ったりする時に両足裏の神経がひどく痛むのです。
 何故、こんなこわれた体を持って生を受けなければならないのでしょうか。まるで、地獄をつき抜けてきたかのような思いです。何のために自分を救おうとしてきたのかと、いつも思います。私は奉仕者になりたいと思ってきましたのに、子供の時から力もなく、狭心症や悪性の貧血などに見舞われているのです。一体、私は過去生か今生で、何かひどい罪を犯したのでしょうか。」

(P.125)

 これに対し、ケイシーのリーディングは彼女の過去世を次のように透視し、肉体的苦痛がその時代に作ったカルマからのものであると指摘しました。

 「実に興味深い性格の人間がベラフォンティンに生まれたものだ!この人は教会を徹底的に迫害し、ローマが炎上している時にもヴァイオリンを弾いて興じていた、あの人物の側近者の一人だったのである。この人が体の構造に変形を促している理由はここにある。とはいえ、この人は別にされるであろう。というのも、地上での経験を通してその人は低い段階から、もはや地上での転生を不要とする所にまで進歩してきたからである。完成に至ったということではない。だが、その人がかつてネロの時代に嘲笑ったキリスト教徒たちが懐いていた理想に心を定めるならば、教育を与えてくれる世界が他にもある
(…中略…)
 占星学で言う“座相(アスペクト)”は、この人の生涯では無用のものとなるだろう。そのようなものは、物質性の生涯で二度と再び必要とならなくなるだろう。物質的衝動というものがあるが、物質があるのはこの三次元世界だけでなく、他の意識領域にもあることを憶えよ。」

(P.126-127)

 以上のケイシーリーディングで興味深い点が三つあります。

 一つ目は、この女性は過去世であの“暴君ネロ”と呼ばれた人物の取り巻きであったということです。当然、その生涯では多くの罪を犯し負のカルマを形成したということが推測できます。負のカルマはいつか必ず解消しなければなりません。与えたものと同等の苦しみを受け取らなければならないのです。

 二つ目は、リーディングが彼女に対し、「低い段階から、もはや地上での転生を不要とする所まで進歩してきた」と述べている点です。低い段階というのはネロの時代の人生で、それから現在まで1900年近くもの時間をかけて、“転生が不要”という段階まで霊的に成長してきたということです。

 三つ目がここで一番大切な点です。下線部分に「教育を与えてくれる世界が他にもある」という言葉がありますが、これは地球以外にも物質界を持つ天体が存在していることを意味しています。地球を含む宇宙に存在する各天体は“霊の学校”に相当しています。この世でも年齢や能力別に様々な学校が存在しているように、それらの天体も霊の進化の程度に応じた役割を持っています。地球はその中でもまだまだ未熟な霊の学校に相当しているようです。地球への生まれ変わりが不要ということはつまり、物質的、精神的、霊的に地球よりも高度に発達した天体へと“生まれ変わる(進級)”ことができるということになります。

『霊の書 スピリチュアリズムの真髄 思想編』 心の道場刊 地球外での物質的体験について、『霊の書 スピリチュアリズムの真髄 思想編』に詳しい説明がありますので紹介します。


:物的生活の体験はすべてこの地球上で行うのでしょうか。
:全てというわけではありません。他の天体で行うことも少なくありません。今のあなたの地上生活は最初でもなく最後でもなく、最も物質的で、完全性から最も遠くかけ離れた世界での体験の一つです。

:魂は物的生活を、毎回、新しい天体で行うのでしょうか、それとも同じ天体で何回か体験するのでしょうか。
:十分な進歩が得られない場合は何度でも同じ天体で生活することになります。

:他の天体をいくつか体験したあと初めてこの地球へやってくることもあるのでしょうか。
:あります。今地上で生活している人でも次は別の天体へ行くかも知れません。宇宙の全ての天体は連帯関係によって結ばれています。一つの天体で成就できなかったことを他の天体で成就することができるようになっています。

:人類の究極の目的である完全性と至福の境涯に到達するためには宇宙に存在する天体の全ての生活を体験しなくてはならないのでしょうか。
:そんなことはありません。その天体の中には発達程度の同じものが沢山あって、そこでは新しい体験が得られないからです。

:ではなぜ同じ天体に何度も再生しなくてはならないのでしょうか。
:訪れる度に新たな環境に置かれ、新しい経験を見出すことになります。

:前回よりも発達程度の低い天体へ再生することもありますか。
:あります。進化を促進する意味も含めて一つの使命を持たされる場合があります。そういう場合は使命に伴う酷しい苦難を喜んで受け止めるものです。霊性の進化を促進してくれることを理解しているからです。

:それが罪滅ぼしの場合もあるのではないのでしょうか。また、言うことを聞かない霊が程度の低い天体へ送られることもあるのではないのでしょうか。
:霊は進化が止まることはあっても決して退化することはありません。言うことを聞かない霊は進化を止められるという形で罰を受けることがあり、また無駄に終わらせた物的生活を、その本性に合った条件のもとで、もう一度やり直しをさせられることがあります。

:もう一度やり直しをさせられるのはどういう霊の場合ですか。
:与えられた使命を怠った者、あるいは用意された試練に耐え切れずに安易な道を選んだ者などです

:この地球から別の天体へ再生する場合、地上時代と同じ知性を携えて行くのでしょうか。
:当然です。知性は決して失われません。ただ問題は、別の天体へ再生した時のその知性の表現手段が同じでないかも知れないことです。それはその霊の進歩の程度と身にまとう身体の性質によって違ってきます。

:地球外の天体に住む者も我々と同じ身体を持っているのでしょうか。
:身体はあります。物質に働きかけるためには物質で身をくるまないといけないからです。しかし、その外衣は霊が成就した純粋さに応じて物質性の度合いが異なります。その度合いが再生していく天体の程度を決定づける要素となるのです。“我が父の家には住処多し”とイエスが述べておりますが、それだけ霊格の差があるということでもあります。そのことを地上生活中から直感している人がいますが、まったく感じていない人もいます。

:いっそのこと再生せずに霊のままでいた方が良いのではないでしょうか。
:とんでもない!そんなことでは進歩が止まってしまいます。霊はひたすら向上進化を求めるのです。

(P.96-100)

 『地球卒業者18人の過去生』で取り上げられている18人には一つの共通点があります。それは、彼らは彼ら自身が持つ才能や特技、知識を活かして常に“他人に奉仕”してきたという点です。本書の著者がその点を次のようにまとめています。ここには地球という学び舎を卒業していくための大切のヒントが述べられています。

 これらのリーディングを受けた十八人の人たちは、一九四二年から一九四四年までの間に、あらゆる場所からケイシーの所にやって来ました。その教育歴や社会的背景、職業の選択は大きく異なりをみせています。その過去生も今生と同じく個々別々でしたが、共通する特徴、魂の性質がいろいろな言い方で繰り返し表現されているリーディング共通の言葉から浮かび上がってきます。次にそれを列記してみましょう。

「……その人は地上での生涯のほとんどで、とことん自分を捧げ尽くした。」

「……もらうよりも、常に人にとことん与えつくす人である。」

「他のことを思いわが身を捧げる人である。」

「どの世界にあっても人の発展のために身を捧げる人である。」

「利己主義はその人の存在の中にはない。」

「……そして、己を征服することこそ、数多くの世界を征服するよりはるかに偉大なことなのだ。」

「そのように、人は己を奉仕に捧げる時のみ目覚めるのである。聖なる愛が現されてきた、今も現されているために、あなたは他に与えてきたものを所有しているのだ。それこそ、成長と目覚め、意識が育っていくための方法である。」

 この人たちは今生では外見上はまったく異なっていましたが、人に奉仕するためには利己的興味を捨て去ることも辞さないという、共通点があります。奉仕、そして捨て去るものだけを得るという聖書的な戒めを説いているのは、この人々のリーディングだけではありません。沢山のリーディングが、人への奉仕が神への最高の奉仕なのだと説いているのですが、この特殊グループのリーディングは一貫して、私たちがそれを実行に移し魂の資質としてしまうまでは、地球に戻ってくるか否かを自分で決定できる段階に至ることはないと言っているように思われるのです。

(P.212-214)

 地球という学びの場を卒業するためには著者が下線部で述べているとおり、“奉仕”することがその人の基本的特性となる必要がある、ということだと思います。奉仕といってもただ物やお金を分け与えるという単純なことだけではなく、各自が持っている才能や知識を社会や自然界に対して建設的に活用し、役立てていくということです。本書の中で取り上げられている人々も様々な職種に分かれています。たとえば、弁護士、医師、女優、エンジニア、建築家、ダンサーなどといった職業の人たちです。彼らはいくつもの過去生で進歩したり退歩したりしましたが、今では奉仕することが基本的資質として身に付いているため、それ故に「もはや地球に生まれ変わる必要がない」という段階に達することができたのです。

 このことを見ると、進化した霊にとって他人や社会のために自分を役立てようとすることはごく当たり前のことであり、霊としてそのような資質を身に付けて初めて、地球での生まれ変わりに終止符を打つことができるということが分かります。そして、霊的に進化するということはより大きな自由の獲得を意味しますから、自身が生まれ変わる際の天体の選択肢も増えます。次はより進化した天体、地球では得られない学びや経験を提供してくれる天体へと生まれ変わることが可能になっていきます。

 「人への奉仕は創造主に対する最大の奉仕である。より大きな力を求めてゆこうとする願いは、僅かずつためていった銅貨がついには何かを買うために自分が望んでいた額になるのと同じように、望んだ結果を実現するのだ。人生に関わる全てのルールをそのように応用しなさい。」

(P.228-229)

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トップページ人生の意義について3“人のため”の霊的真意

“人のため”の霊的真意

 次に、ケイシーリーディングが「人は己を奉仕に捧げる時のみ目覚めるのである」と述べ、また「それこそ、成長と目覚め、意識が育っていくための方法である」とも述べたことについて説明します。なぜ奉仕という行為が自分自身の霊的成長に関係があるのかと疑問に思う方もいると思います。その答えのヒントは次のリーディングにあります。これはある医師に与えられたリーディングの一部分です。

 あなたが希望を捨てず、自分という宮の中で目的としたものをしっかり保ってゆくならば、神は天使にあなたの世話を任せあなたを育て上げてくださるからだ

(P.114)

 リーディングに出てくる天使とは進化した霊、つまり“高級霊・善霊”のことです。彼らもまた今の私たちのように地上世界で苦労を重ねた存在たちであり、多くの体験を経て学習を重ねることで霊的世界の高みへと進化していった霊たちです。そういう意味で彼らは私たちの先輩だとも言えます。それ故に彼らは私たちの苦労や悩みをよく理解しています。

 このページの「貧しい靴職人の死後」の項でも見たように、地上で正しい生活を送っている者はそのような天使的存在たちから認識されています。本人は意識せずとも日々の正しい行いがその宿る霊を輝かせ、それを天使(善霊・高級霊)たちが認識しているのです。彼ら天使たちは、肉眼ではなく霊的な視力でその人間の本性を見抜くことができるのです。

 この状態は地上の人間と天使たちとの間に“霊的な繋がり”ができたことを意味しており、これにより人間は彼ら天使的存在からの守護や導きを得られるようになります。この状態が私たちを霊的成長へと導いてくれることになるのです。これがリーディングで述べられている「神は天使にあなたの世話を任せあなたを育て上げてくださる」ということです。彼ら天使的存在との繋がりを得るためには、日々において奉仕的精神状態、つまり“世のため人のために”という心の有り方で生きていくことがどうしても必要なのです。

 何度か紹介した古代霊シルバーバーチは、霊界の霊が地上の人間に働きかける仕組みを次のように述べています。

 人間が同胞に向けて愛の手を差しのべんとする時、その意念は自動的に霊界の援助の力を呼び寄せます。その、人のために役立とうとする願望は魂をじっとしていられなくします。そして、やがて機が熟して魂が霊性に目覚める時が来ます。その時からは自己の存在の意義を成就する目標へ向けて意識的に邁進するようになります。

(『シルバー・バーチの霊訓 第一巻』 P.157)

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 私どもにとっては“人のために尽くすこと”が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終わったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。
 これが人のために役立てるということの仕組みです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。霊の力を取りとめのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れることが出来るのです。それがあなたを通じてさらに他人へと働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります

(『シルバー・バーチの霊訓 第二巻』 P.17-18)

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 できるだけ高い界のバイブレーションに感応するようになっていただきたい。自分が決して宇宙で一人ぽっちでないこと、いつもまわりに自分を愛する霊がいて、ある時は守護し、ある時は導き、ある時は補佐し、ある時は霊感を吹き込んでくれていることを自覚していただきたい。そして霊性を開発するにつれて宇宙最大の霊すなわち神に近づき、その心と一体となっていくことを知っていただきたい。そう願っているのです。
 人間は同胞のために自分を役立てることによって神に仕えることになります。その関係を維持しているかぎりその人は神のふところに抱かれ、その愛に包まれ、完全な心の平和を得ることになります。
(…中略…)
 心に邪(よこしま)なものさえなければ善なるものしか近づきません。善性の支配するところには善なるものしか存在し得ないからです。こちらの世界からも神の使徒しか近づきません。あなた方には何一つ恐れるものはありません。あなた方を包み、あなた方を支え、あなた方に霊感を吹き込まんとする力は、宇宙の大霊からくる力にほかならないのです。

(『シルバー・バーチの霊訓 第四巻』 P.16-17)

 私たちは自らの心のあり方によって様々な霊からの影響を受けます。ケイシーのリーディングやシルバーバーチの霊訓を読めば分かるとおり、世のため人のためという利他的・奉仕的・建設的な心理状態では善霊や高級霊などの天使的存在と繋がることができます。そうなることで彼らから知的分野においても芸術的分野でも有用な知識や素晴らしいインスピレーションなどを授かり易くなります。また、本来の人生計画を完遂するための導きや助力を得ることも期待できます。

 逆に自分さえ良ければよいという利己的な心のあり方では悪意を持つ低級な霊たちと繋がることになります。そのような存在と繋がり続ければ、自らに待ち受けるのは人生の破滅です。彼らは物欲や犯罪をあおり、時には自殺をけしかけて地上の人間を堕落させようとするからです。

 私たちは良くも悪くも自分の思った通りの人間になっていきます。刻一刻と自分で自分自身を創り上げているのです。そのような理由で、自らを高めていくためにも常に良い心構え、そして良い行いが大切になります。霊界の高い界に所属する善霊・高級霊と繋がるためにもそれは大切です。シルバーバーチが下線部分で述べているとおり、心のバイブレーションを高める必要があるのです。

建設的な心の状態

破壊的な心の状態

愛 慈悲 奉仕 親切 忍耐
優しさ 憐れみ 謙虚 寛容
平静 思いやり 共感 友情
同情 快活 感謝 自己犠牲
陽気 ユーモア 利他的
……等々

憎悪 自惚れ 高慢 傲慢
苛立ち 臆病 嫉妬 怨念
心配 悲哀 不平 貪欲
怒り 呪い 悪意 猜疑 絶望
執着 陰気 利己的
……等々

 私たちは誰一人として“きまぐれ”な気持ちでこの世に誕生してくるのではなく、しっかりとした目的の下でこの世界にやって来ます。その目的とは一言で言えば“霊的進化・霊性向上”ということになりますが、言うは易く行なうは難しで、肉体に宿っているという特質上どうしても物欲的・肉欲的な方向に目を奪われがちです。動物的本能がそのようにさせるからです。

 地上人生は霊的性質(利他的)と物的性質(利己的)との葛藤の世界であるとも言えます。日々に起こる厄介事の中においても、前者を心掛け後者を抑制していくことが霊的進化に繋がります。なぜなら、それこそ地上人生の意義であり、筋肉がトレーニングによって鍛えられていくのと同じように、制約と葛藤のある中で霊的性質をできるだけ発揮していくことが自らの霊としての力を鍛え上げていくことになるからです。これをスピリチュアル的な用語では“霊主肉従(霊主体従)”という言い方をしています。

 霊的な成長とは、山に篭ったり肉体的苦行によってもたらされるのではなく、ましてやどこかの宗教団体に入信して金品を捧げることでもありません。それは日々におけるごくごく平凡な生活を生きる中で達成されていくことです。何事でも変化は少しずつ起きて来ますから焦らないことが肝要です。一朝一夕で何かが変わることはありません。トレーニングによって少しずつ筋力が付いてくるように、霊的成長も日々における忍耐強い霊主肉従の姿勢が保つことが大切になります。そしてまた、このような姿勢を保つことで悪霊や低級な霊からの誘惑に抗することができ、すでに述べたように善霊や高級霊からの加護や導きを得ることができるのです。

 おそらく多くの人が経験したことがあるように、誰かのために何かの貢献や奉仕を行って得られる充足感や満足感は掛け替えのない体験です。それは本当の意味での幸福であり、顕幽全宇宙のすべての存在物を生かしめている力(愛・神・創造主)と共鳴し、一体となった瞬間でもあるからです。霊的に成長していくと、それとより多く共鳴し一体となることが可能になっていきます。つまり、内なる幸福度の増大とその感度が高まっていくということです。

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トップページ人生の意義について3有象無象の中で 苦しみの意味と価値

有象無象の中で 苦しみの意味と価値

 私たちが生活しているこの世界(物質界)も広い意味では霊的世界(霊界)の一部です。どちらも霊が活動する場所としては同じだからです。霊界には霊が活動する“場”が無数にあり、物質界もその中のひとつに過ぎません。それぞれの場は三次元的概念では示すことができません。なぜなら、すべてが同一空間上に存在しているからです。実は、私たちの目の前の空間には様々な周波数の素材で形成された別次元の世界が展開しているのです。

 霊がその中のどこかの世界に関与・干渉するためには、その場での活動に必要な媒体に宿る必要があります。ちょうど肉体に宿ってこの世界(物質界)で活動している私たちのようにです。霊がその場で活動するための媒体に宿ると、その世界が自分にとって現実感のある場所になる訳です。私たちは肉体に宿っている制約上、他の世界を認識することはできませんが、中にはそれが可能な人がいます。別次元の世界やそこで活動する霊を認識できる人です。彼らのような人を私たちは“霊能力者”と呼んでいるのです。

 このように、霊が活動する世界(場)はたくさん存在しているのですが、数多くある“場”の中でも私たちがいま活動している物質界は特殊な世界になっており、様々な霊格(成長段階)の霊が肉体に宿って同一平面状で共同生活を営んでいます。肉体という特殊なトレーニングウェアを着ることによって、霊格の違う者同士が同じ世界で生活することを可能にしているのです。

 逆に死後の世界、つまり霊界では霊格や個性、共通点の違いがすなわち住む世界の違いになります。この世界のように善と悪とが混在するということはなく、善は善と共に、悪は悪と共に生活を送ります。霊界を律する法則がそうさせるのです。波長の合うもの同士が一緒になるという訳です。そして自殺者もこの法則に当てはまります。つまり、自殺者は同じ自殺者と共に霊界の低い界層での共同生活を余儀なくされるということです。

 ただ、高い階層に所属している霊が下層界へ降りていくことは可能です。自分より低い界に所属している霊たちに援助や教育を施すためです。しかし、低い界の霊が上層界に赴くことは不可能です。それが可能になるのは、その界に進化していくに相応しい霊格を備えた時、ということになります。

区切り

 私たちが今いるこの物質界には様々な霊格(霊的成長度)の霊たちが肉体に宿って生活しています。中には今回が初めての人間体験をしている霊もいれば、すでに何度も生まれ変わりを経験している者もいます。人によって個性や才能、また考え方や感じ方に違いがあるのはこのためでもあります。霊としての経験値に差があるのです。育った環境や遺伝子だけがそれらを決定づける要素ではありません。そして、この霊格の違いが様々な摩擦や問題ごとを発生させる原因にもなってしまいます。

 そもそも、なぜ物質界という厄介な世界が存在するのかと言えば、霊的存在としての私たちにその“厄介ごと”を体験させるためだと言えるかもしれません。ありきたりな言い方ですが、それらの“喜怒哀楽・艱難辛苦”をともなう厄介な出来事に耐え、生き抜いていく過程が、私たちを力強く成長させてくれることになるからです。たとえどのような状況を迎えたとしても真正面から受け止め、「この事態から自分は何を学ぶべきなのか」という心構えが必要になります。すべての出来事が自分を強く逞しく成長させるための踏み台になり得るからです。

 シルバーバーチ霊は地上人生の意義を次のように説明します。

 魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力――それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。ほかにもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。
(…中略…)
 困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これは酷(きび)しい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそうやすやすと手に入るものではありません。

(『シルバー・バーチの霊訓 第一巻』 P.56-57)

----------

 地上生活の目的は人間の霊性の発現を促すことです。
(…中略…)
 私には皆さんの人間であるが故の弱点がよく理解できます。しかし、一つ一つの問題を自分への挑戦として平然と受け止めると同時に、内部の霊性を強化し、開発し、発展させて霊性を高めるための触媒として、それを克服していかねばなりません。
 地上的環境の中に置かれている以上あなた方は、地上ならではのさまざまな条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮き沈みというものに直面しないわけにはまいりません。
 しかし、そこにこそ皆さんが地上に生を受けた意味があるのです。つまりそうしたさまざまな浮き沈みの体験が皆さんの霊、真実の自我に潜在する資質を顕現させることになるのです。困難と逆境とに遭遇してはじめて発揮されるものなのです。
 魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです。
 これは、霊的叡智を求める求道者のすべてに言えることです。断腸の思い、悲痛、苦痛を体験しないことには、そのあとに訪れる恩寵の有難さが十分に理解できません。人のために役立とうとする人間は試練を覚悟しなければなりません。時には力の限界までしごかれることもあります

(『シルバー・バーチの霊訓 第十巻』 P.18-19)

 シルバーバーチが述べる“困難こそ魂のこやし”という言葉を理解すると、私たちは何らかの困難な事態に直面したとき、今までとは違う発想を持つ必要があることが分かります。つまり、「この事態は自分をどのように成長させてくれるのか」という発想です。苦しみは苦しみとして受け入れつつ、それを自分自身をより良く変えていくためのきっかけとして前向きに捉えてみるのです。

 「逆境は人間を強くする」という真理はおそらく多くの人が理解していることだと思います。そして人生はその逆境の連続であることもそうです。多くの逆境を乗り越えることで私たちは成長し、教訓を学び、人や動物や自然に対し優しくなれます。さらに進めばそれらに対して有益な存在になろうともします。それはまさに霊としての成長を意味しているのですが、それに至るにはどうしても“人生の暗黒期”を通る必要があるのです。「人のために役立とうとする人間は、時には力の限界までしごかれる」と下線部でシルバーバーチが述べているようにです。自らが苦しみや悲しみ、痛みなどを経験しその本質を理解することによって、初めて(本当の意味で)誰かのためになる仕事ができるようになる、ということだと思います。

 また、私たちが地上に生きる別の理由として、過去世からの“カルマの解消”があり、それはどちらかといえば過酷で困難の多い人生の中で、自らの霊的な穢れを浄化していくことによってなされます。霊界の上層界に進化していくためにはどうしても必要な禊(みそぎ)です。このように、私たちが本来忌避したいと思うような出来事が、実は自分自身の成長・浄化のために大切な役割を担っているということをよく理解しておかなければなりません。

区切り

 物質界は“自分自身を相対化して見つめること”が容易な世界です。霊格人格の違い、考えや感じ方の違い、趣味や好き嫌いの違い、人種の違い、国籍の違い、老若男女の違い等、様々な“相対化を可能にする要因”に溢れています。逆に霊界は“自分自身を相対化する”という行為が非常に困難な世界です。なぜなら、霊界では自分自身の霊的成長度と同じ者たちとしか基本的には生活を共にすることができません。周りは似たもの同士であり、上記に上げたような違いは少ししかありません。霊界でも霊的成長は可能ですが、物質界に降りて様々な出来事を経験するほうが“より効率的に”成長を可能にしてくれるのです。

 この世は「真の自分自身を発見していく旅である」と言えるかもしれません。たとえば、海外で生活したことのある日本人は、海外に出たことのない日本人よりも日本という国をよく知り、自分が日本人であることの自覚を強く持つようになるといいます。日本にいる場合とは違い、違う文化や習慣、言語、宗教、現地の人たちの考え方や知識に触れることによって、日本人としての自分を相対化し、客観的に見つめ直すことができるからです。それは外国でのカルチャーショックが触媒となって、日本人としてのアイデンティティーを確立していく過程だと言えます。

 この世に生きている私たちはまさにこの状態と同じかもしれません。住み慣れた故郷(霊界)を離れ、葛藤と困難が溢れているこの世を生きていくことによって、「自分とは何か」という問いに答えを見つけようとしている訳です。それらが多ければ多いほど、大きければ大きいほど、乗り越えた時に得る“悟り”の度合いも大きくなっていきます。人生に立ちはだかる難問を一つ一つクリアしていく毎に、自分自身の価値や使命、存在理由に気付いていくことになるのです。そして、地上での体験は何一つ無駄にはならず、得た教訓や獲得した知識、のばした才能は死後にも続く生命活動のなかで活かされ、発揮されていくことになります

『ホワイト・イーグル霊言集』 潮文社刊  シルバーバーチ霊と同じ時期に活動していた“ホワイトイーグル”と名乗る古代霊も地上人生の意義を次のように述べています。『ホワイト・イーグル霊言集』から。


 もし魂が鈍重な物質の中に降下しないとしたらどうでしょう。魂は自己を知ることもなく、内在の力に気付くこともなく、ついには自己神性を悟る時もないでしょう。ここに地上出生の意味を汲みとって頂きたい。ちょうど一粒の種子が地中に播かれ、雨と熱で発芽するように、魂も暗い土の中で目を開くのです。その受ける苦しみ、圧迫と悪、これらに抗しながら、魂は無自覚から自覚へと進んでいきます。こうして多年の辛酸を経て、人は物質の主となり、自己の主となり、ついには神を知る者となるのです。
(…中略…)
 喜びといい苦しみといい、自分が招いたものを、誰しも避けることは出来ません。人間とは磁石のようなものです。それも、自分自身を自分に引き付ける磁石です。これは不可避の法です。つまり自分がいつも考えていること、自分が常に行っている事、それと全く同じものを引き寄せているのです。
 このように人生は公正無私の法で支配されている以上、人生に不公正があろう筈がありません。皆さんがどんなに疑おうと、他日、目が開かれた時、はっきりと知ります。人生のどんな一つも、自分の魂に影響を与えその目を開くためにあると、また、一切が貴方を神の子として完成させるためにあるということを。(…後略…)

(P.21-23)

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 人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。だが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。それは行為です。貴方がその神秘にふれるための行為によるのです。世のすべての書を読み、知識を知りつくしても、人は依然無力です。それに至る道は唯一つ、日常の貴方の生活如何です。どんなに願い、憧れ、欲求しても無駄です。肝心なのは人類への現実の奉仕です。それがつまらない床掃除であったり、人の嫌がる仕事であったり、好きでもない人のために身を低くして働いたり、愛の手を差しのべたり、――とても普通は出来ない事ですが――、それを、我を殺して、誰にも認めて貰えなくても、やりぬくことです。

(P.134-135)

 ある霊が地上人生を「危険な航海」という例え方をしています。しかしそれは、無事に予定の港へと辿り着いた時にはかけがえのない霊的宝物を得るという形で報われることになります。逆に挫折して座礁してしまうこともあります。それは自殺であったり、悪徳まみれの人生を送ることになった場合です。この世は自分を成長させてくれる機会の場であると同時に、惑わし道を踏み外して霊的に落伍させてしまう危険性をも伴った世界であり、どちらの道を歩むかはひとえに私たちの自由意志にかかっています。

 ホワイトイーグルが下線部分で述べているように、今の自分を形作っているのは過去の自分自身の行為です。今の境遇は過去における自分自身の行為や思想の反映でもあるのです。そのような霊的法則(因果律・カルマの法則・原因と結果の法則)によってそうなるのです。そして、未来の自分を形作るのも今の自分自身の行為や思想です。結局のところ、未来の自分を幸せにするか否かは今の自分自身の行い次第なのです。

 世間では“勝ち組”とか“負け組”という言葉をよく耳にしますが、この世的な勝ち組が必ずしも成功者とは言えません。大切なのは霊的な視点から見た場合の勝ち組です。それがどのようなものなのかと言えば、「人生をしっかり生き抜き、あらかじめ定めていた人生計画を全うした人」や、「社会や周囲に対し建設的役割を果たした人」等ということになります。そして霊的な意味での負け組とはつまり「自殺した人」、「この世で何の貢献もしなかった人」、または「物欲まみれの人生を送った人」等ということになります。どちらを選ぶかは私たち次第であり、どちらの道を選ぶかによって自分自身の未来にも直接的に係わっていくことになります。

 このサイトでも見てきたとおり、自殺は間違いなく自分自身を不幸にします。死の向こう側にも新たな生活が待ち受けているという事実は、私たちにこの世だけにとらわれない、より広い視野を与えてくれます。自殺を考えている方はその視野に立ち、自殺した場合はどのような事態が自分に待ち受けているのかについて、もう一度熟考してみてほしいと願っています。

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